神代の昔、幅が狭く丈が長い布裂(ぬのきれ)を『領布(ひれ)』といい、恋しい人の別れに振ったり、形見にしたりしました。
こんな伝説があります。
537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがあります。
そしてもうひとつのお話、
鏡山と万葉 http://www.yoyokaku.com/mannyou.htm
大蛇伝説
その後、狭手彦を見送ってから五日経った夜、佐用姫のところに毎夜、姿かたちが狭手彦によく似ている男が通ってくる。
佐用姫は不思議に思って 後をたどっていくと、領巾山の山頂に出た。
そこには沼があって「頭が大蛇で身体は人という怪物」が横たわっていた。
忽ち人の姿に変わったかと思うと 次のような歌をうたった。
篠原の弟日姫子をわずか一夜でも連れてゆき寝てしまえば家に帰してやろうよ。
下女が走って山を駆け下り家族に知らせた。家族や村人が急いで山頂に登ってみたが、そこにはをろちの姿も佐用姫の姿もなく、沼の底に人の屍が残っているだけで、佐用姫の骨にちがいないとこの領巾山の峯の南の方に墓を造り、佐用姫の霊をなぐさめた。墓は現在でも残っている。『肥前風土記』より
引用ここまで
現在、てぬぐいは舞踊で使われますが、能や舞楽などでは使われません。私見ですが、領布を振るのは、鎮めの動きだと考えています。龍宮神社や竹屋神社の奉納舞で、てぬぐい(太乃己比)の代わりにシルクのファンベールを使いましたが扇と領布をひとつにした採りものだと思いました。
来年1月から、てぬぐいもやっていくことにしました。