10月15・16日(土・日)、揖宿神社さまにて創作舞を納めさせていただきます。

10月15・16日(土・日)、鹿児島県指宿市東方の揖宿神社さまにて、創作舞を納めさせていただきます。

演目は、

■天之八衢(あまのやちまた)

 八衢とは、天上で、数多くの道が分かれるところ。高天原から葦原(あしはら)の中つ国に下る道の途中にあったとされます。天孫邇々芸命(てんそんににぎのみこと)が天降りされようとするとき、道をふさぐ神があったので、天宇津女命に問わせると猿田彦神(さるたひこのかみ)で、天孫を先導するために出迎えに来たと言いました。天宇津女命の舞と猿田彦神の舞。

■八咫(やた)

 酒を飲んで酔った大蛇(おろち)と神(=怜生くん)による立ち廻りの舞。榊を手にした大蛇と剣を手にした神が舞います。

■小さき太陽

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸の中にお隠れになったとき、世の中すべてが常闇(とこやみ)となりました。そこで神々は集まって相談し、天宇津女命を呼んで舞い躍らせました。うつぶせにした桶の上に乗り、背を反り胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし、力強く艶のある動作で舞い踊って、神々は大笑いしました。岩戸は開かれ、再び世の中が明るくなり禍も無くなり平和が戻りました。

■恵比寿大黒

 恵比須は、鯛を釣り上げ寿福をあらわすおめでたい(鯛)舞です。鯛釣りの前に撒き餌として投げる飴には福が宿るとされており、拾った人にはサチが訪れるとされます。大黒は、赤い大黒頭巾(ずきん)をかぶり、手に打ち出の小槌(こづち)を持って舞います。福運をもたらすとされています。大己貴命(おおあなむちのみこと おほあなむち)は、国の神の首魁(しゅかい)。「古事記」では大国主神(おおくにぬしのかみ)の一名とされます。「出雲風土記」には国土創造神として見え、また「播磨風土記」、伊予・尾張・伊豆・土佐各国風土記逸文、また「万葉集」などに散見します。後世、「大国」が「大黒」に通じるところから、俗に、大黒天(だいこくてん)の異称ともされました。大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)。大汝神(おほなむぢのかみ)。大穴持命(おほあなもちのみこと)。

塩土老翁(しおつちのおじ)

 「シオツチ」とは潮流をつかさどる神の意です。降臨した天孫に「国ありや」と問われて「国あり」と答えた笠狭御崎(かささのみさき)の事勝国勝神(ことかつくにかつかみ)の亦名(またのな)としています。天孫・山幸彦(やまさちひこ)を竹製の籠(かご)に乗せて海神の国への道を教えます。この神は隼人が信奉した海神であろうと推定されています。亀とともに舞います。

■浮杖(フロウワンド)

 「ワンド(wands)は、棒、杖、棍棒、ロッド、笏を象り、火を象徴しています。宙に浮く杖が、炎舞へと誘います。

■火結(ほむすび)

迦具土神(かぐつちのかみ)=伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子。火の神。火産霊神・火結神(ほむすびのかみ)。軻遇突智(かぐつち)。炎棒を手に舞います。

■火中出産(炎舞)

 みきさんの舞です。

古事記
 木花之佐久夜毘売の出産 木花之佐久夜毘売は一夜を共にしただけで身篭った。それを聞いた邇邇藝命は「たった一夜で身篭る筈はない。それは国津神の子だろう」(「佐久夜毘賣 一宿哉妊 此胎必非我子而為國津神之子」『古事記』)と言った。

木花之佐久夜毘売は、「この子が国津神の子なら、産む時に無事ではないでしょう。天津神の子なら、無事でしょう」(「吾妊之子 若國津神之子者 幸難產 若為天津神之御子者 幸產」『古事記』)と誓約をし、戸のない御殿を建ててその中に入り、産む時に御殿に火をつけた。天津神の子であったので、無事に三柱の子を産んだ。

火が盛んに燃えた時に生んだ子を火照命、火が弱くなった時の子を火須勢理命、火が消えた時の子を火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。

日本書紀 第九段本文

その国に美人たおやめがいて、皇孫がこの美人に、「おまえは誰の子か」と尋ねると、「妾やつこは天神あまつかみが大山祇神を娶って生んだ子です」と答えた。名を鹿葦津姫かしつひめという、とある。皇孫が彼女を気に入ると、一夜にして妊娠した。皇孫は信じられず、「また天神といえども、何ぞよく一夜の間に人をして娠はらみ有らせんや。汝が懐はらめるは必ず我が子に非あらじ」と言った。

そこで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸口のない小屋を作ってその中に籠り、誓いて、「妾が娠める、若し天孫あめみまの御子に非あらざれば必ず焼け滅ほろびぬ。もし本当にに天孫の子ならば、火も害そこなうこと能あたわじ。」と言って、火をつけて小屋を焼いた、とある。以下がその三子の詳細である。

最初に昇った煙から生まれ出た子:火闌降命・隼人はやひと等の始祖
次に熱が静まって生まれ出た子を彦火火出見尊
次に生まれ出た子を火明命・尾張連をはりのむらじ等の始祖
とある。

日本書紀 第九段一書(二)

 その後、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見て「妾は天孫あめみまの御子を娠はらめり。私に生むべからず、」と言うと、皇孫は「たとえ天神あまつかみの御子といえども如何いかにぞ一夜にして人をして娠はらませんや。抑はた我が御子に非あらざるか。」と言った。それを聞いた木花開耶姫【何故か神吾田鹿葦津姫から木花開耶姫に変わっている】は大いに恥じ恨んで、、戸無き室を作りて誓いて「我が娠はらめる、これもし他神あたしかみの子ならば、必ず幸さちあらず。これ實まことに天孫の子ならば、必ずまさに全またく生まれなん。」と言いその室の中に入り火を以ちて室を焚やく、とある。

以下が火中出産の三子の詳細である。

焔が初め起こる時に共に生みし御子:火酢芹命ほのすせり
次に火盛りなる時に生みし御子:火明命ほのあかり
次に生みし御子:彦火火出見尊ひこほほでみ、または火折尊ほのおり
とある。

日本書紀 第九段一書(三)

 最初に炎ほのおが明るい時に生まれた子が火明命ほのあかりである。
次に、炎ほむらが燃え盛る時に生まれた子が火進命ほのすすみである。または火酢芹命ほのすせりと言う。
次に、炎が鎮まった時に生まれた子が火折彦火火出見尊ほのおりひこほほでみのみことである。
この併せて三子みはしらのみこは火も害そこなうことなく、母いろはもまた少しも損う所無し。そして竹の刀でその子の臍の緒を切る。その竹刀を棄てし所、後に竹林と成る。そこで、その地を竹屋たかやと言う。

その時に神吾田鹿葦津姫が卜定田うらへたを以ちいた田を狭名田さなだと言う。その田の稲で天甜酒あめのたむさけを釀かみて嘗にいなえを催した。また、渟浪田ぬなたの稲を用いて、飯いいと作り嘗を催した。

 

 今回は、音響と照明(15日)にこだわります。舞面や衣装も、良いものをそろえました。奉納まであと少し、コツコツ積み上げたいと思います。