咒物としての扇。扇を手にして身がまえれば、現実世界を消滅させ、別のある約束ごとの世界をそこにとって代わらせることができる。

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吉野裕子全集 第一巻

吉野裕子全集 第1巻 人文書院 32-34Pより

日々の稽古は、膝をそろえて正座し、扇を前において「お願いいたします」と師匠に挨拶することからはじまる。終わるとまた扇を前にして礼をする。舞踊の世界はまったく一本の扇に終始する、といっても過言ではない。武士でいえばさしずめ刀にも当たるのが日本の扇である。

それだけに入門してはじめて扇を手にしたときの感じは今も忘れられない。

手にとってみるとズシリというほどではないが掌にこたえる重たさがある。扇はあたらしいせいかすこしキシんで、ひらいたり、とじたりするには多少の力が要る。舞台で舞踊家が扱う扇をみているとそれはまるで生きもののように、手の一部のようになっていて、しなやかに動き、ある時は花びらに、あるときはふりしきる雪や、のびやかな水の流れにも見立てられる。

それなのに初心の私が手にすると、扇は意外なほどかたくなで、まったく扱いにくいものになってしまう。

はじめて習ったのは瑞唄「梅にも春」に振りつけられた踊りだった。

 若水を汲む、というところでは扇は釣瓶(つるべ)になり、上の方から両手の指でクルクルまわしておろしてくるそれが水を汲む所作となる。ついで扇は水をまく柄杓となり、やがて酒の盃にも「おちょうし」にもなり、格子戸の隙間をあらわすことにもなる。

最初の曲を習っているうちに、その扱いのむずかしさは別として、扇はこの世の種々様々のものを表現できる代物なのに驚いた。

一体、人がこれまで発明したもののなかで、こんなものがほかにあるだろうか。考えてみると扇が日本人の生活の中にとけ込んでいるのはいるのは舞踊の世界ばかりではない。能、落語、講談、声色、日本の芸能は達人であれば背景も道具立てもいらない。扇さえあればことたりる。扇に芸がプラスされればそれだけでどんなものでも、情景でも、気分でも表現できるのである。

舞踊の場合でも扇を手にして身がまえれば、上手は上手なり、下手は下手なり、分に相応して現実世界を消滅させ、別のある約束ごとの世界をそこにとって代わらせることができる。

一方、それを見る方の側からいうと日本固有の芸能に比較的馴染みのうすいものでも、日本人であるからには、扇によってつくり出されるそういう約束ごとの世界が自然にうけ入れられてしまうのである。

吉野裕子全集 第一巻 58Pより

日本には古くから「みそぎう」や「はらい」を行なう風習があった。これは身のけがれをはらうとためともう一つは悪いものを追い出すことによって良いものを迎え入れるという考え方にもとづいたものである。さて、「みそぎ」はきれいな水で体をきよめることによって行なわれるが、「はらい」のためには主に植物の葉やせんいが利用された。射干(うばたま)も「はらい」のために使われ、そのためにヒオギ(霊招壽)と呼ばれたと解される。紙扇はこの射干の葉を、竹と紙におきかえることによって生れたものではないだろうか。紙扇が進行と結びついて発達してきたのもその生み出すもとが祭りの中にあったためではないだろうか。

吉野裕子全集 第一巻 68Pより

この檜扇はその模倣した樹木、あるいはその葉のもつ神性、咒物性を抽出した模造の葉である。咒力はその模倣したもとの葉にあるのだから、忠実にその葉を真似るだけでよかった。それで咒物になり得たのである。
蒲葵(びろう)の葉に似ていさえすればよかったのである。その点この扇はきわめて写実的につくられてあり、蒲葵の葉、または蒲葵扇にそっくりで……

引用ここまで

 

扇子を前に置くと、そこに結界ができ、心身が引き締まり、神聖な空間が現出します。扇の作法を守って舞っている人は、その咒力を感じることができます。もちろん、それを見ている人も。

扇には、実用的には涼をとるためのものとしての機能が、咒物としては「けがれ、悪い気を祓うためのもの」としての機能があるとされています。

舞人に扇舞を舞ってもらうと、その後、いろいろよきことが起こると信じられているのも、扇の咒力によるものなのだと思います。

言寿ぎ・言祝ぎ(ことほぎ)……古来より、言葉には呪力があり、現在のしあわせをよろこび神に感謝して、めでたい言葉によって将来のしあわせを神に祈れば、それが実現されると信じられてきました。

まず、言葉で祝うことが大切で、それに加えて、扇舞で祝うことを忘れてはならないと思います。

私は、寿の舞扇を手に舞います。

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寿舞扇

赤地に金文字の寿も好きなのですが、誰かのために舞うときは、金地に赤文字の寿の舞扇を手にして舞うことにしています。

扇の咒力、私は「ある」と信じています。