扇は「何か」である。それは世界に比類のない「何か」であろう。

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白扇

 

吉野裕子全集 第一巻 人文書院より

先生は扇の使い方をおおよそ

1)構え 2)迫力 3)見立て 4)外連(けれん)

の四通りにわけられる。

1)の「構え」というのは儀礼的なもので、扇を前とか横に置き、また横にかまえることもあり、両手にもかまえる。本来「そなえ」といったものが徳川期になって、たくみに洗練され、「かまえ」になるので、以上のほかに「指(さ)す」「翳(かざ)す」「展開する」「納める」「あおる」などの使い方がふくまれるようになり、そうした使い方によってそこに一種の感覚を出そうとするのである。

2)の「迫力」というのは、扇を使うことで手の動きを強化する。いわば迫力をますための扇の利用である。

3)の「見立て」は、たとえば「日の出」「月の出」「大波」「小波」「滝」「流れ」「散り花」「雨」「雪」「霞」などの自然現象から「槍」「巻紙」「短冊」「盃」「徳利」「刀」「煙管」「蝶」「羽子板」などの「もの」を扇を使って実際の「もの」よりももっとよくそれを表現する。それが「見立て」である。

扇を「見立て」に使うことは、中国からの模倣でもなんでもなく、江戸鎖国時代に日本人が工夫したものである。

スペイン舞踊にも鳥の羽の扇が使われるが、これは「あおぐ」か、手の動きの誇張だけで、ものに見立てて、それをとおしてそのものを感じさせる、ということはなく、とりわけ、自然現象まで表現することはまったくない。こんな見事な抽象表現は世界のどこにも見当たらない。

4)の「外連」は、扇の取り扱いの面白さを出すもので、「要返し」「二枚扇」などの「曲使い」がこの中にふくまれる。これはリズムの面白さを出そうとするものでもあって、扇をうしろ向きにヒョイと投げて遠く太宰府に飛んで行った梅をあらわすような場合も、この使い方の中にふくまれよう。

歌舞伎舞踊を源流とする今日の日本舞踊は、

1)祝儀もの 2)本行もの 3)狂言もの 4)変化もの 5)道行もの

の五種類にわけられること、このなかで道行ものには扇はつかわれないが、そのほかの場合、この種類によって使われる扇も違ってくること、個々の場合における扇の扱いの実際など……

疑いもなく扇は「何か」である。ここにいたるまでの扇にはなにか由緒があるはずである。それは世界に比類のない「何か」であろう。

引用ここまで

 

 

私は、普段着に白扇一本で舞うのが好きです。扇を何かに見立てて舞う楽しさは、やったことがある人なら、「わかる」と共感してもらえると思います。パントマイム(ことばを使わず身振り手振りで演技する無言劇・黙劇)とはまた違った感覚です。誰かに見せるわけではない舞、自分自身のために舞う舞に白扇は欠かせません。

白扇の咒力は素晴らしいのですが、現代社会においては、あまり有効に活用されているようには思えません。知られるようになるといいなと願っています。