山の神について

山の神(やまのかみ)

山を支配し領有する神。農民は田の神と結びつけて考え,山で働く人々は山を司る神と考えるなど,その内容は種々ある。

(1) 山そのものの姿態および山をめぐる自然現象に神秘性を感じて,それを神霊の力なり意志の現れとして神聖視する山岳信仰上の山霊。高山,秀峰に固有の神で世界的に分布するが,日本では火山系,神奈備 (かんなび) 系,水分 (みくまり) 系と山容によって分離される。

(2) 人間が山に働きかけて,その体験から信仰対象となった山の神。春に芽を出し秋に実を結び,永遠に山の幸を授けてくれるものを山の大地母神と考えた。多くは女神として信仰する。日本で山の神を女神,姥 (うば) 神,夫婦神とするのもそれである。

(3) 狩猟民の信仰する山の神。山を領有する神とされ,日本では山の神に狩猟を許可されたという伝説をもつ狩猟集団がある。

(4) 平地農民の信仰する山の神。古代より山を死者の霊の休まるところとし,死者の霊が時を経るにつれて祖先神となり,山頂にしずまって子孫を守護するとする信仰で,日本に特徴的に認められる。農耕の開始される春に山から迎えた山の神は田の神となって五穀の生育を見守り,収穫後には再び田から山へ帰って山の神となるとされる。そのほか,山の神信仰には山で生産に従事する炭焼き,きこり,木地屋,鉱山業者などの奉じる神があり,複雑な信仰内容を伝えている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 

山を支配する神。

全国にみられる民間信仰で、多くの土地では山の神は女神だという。しかし男神という所もあり、また夫婦(めおと)神としている例もある。山の神を女神としている地方では、この神は容貌(ようぼう)がよくないので嫉妬(しっと)深く、女人が山に入るのを好まないという。

山の神信仰については、山仕事をする木こり、炭焼き、狩人(かりゅうど)などと、農作をする人々との間では多少の違いがある。農民の信ずる山の神は、春先山から下り田の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となるという。山仕事をする人々は、山の神が田の神になるというようなことはいわない。  

山の神の祭日には山へ入ってはならぬという。この日山の神は山の木を数えるとか、木を植えるとかいう。祭りは7日、9日、12日などまちまちであるが、東北地方では多く12日で、山の神を十二様とよんでいる。十二様は女神で1年に12人の子を生むという。これにちなんで山の神の祭りには12個の餅(もち)を供える。

山の神は祭りに女子が参加することを好まないという。津軽地方では山小屋に12人の者が入るのを嫌ったり、物をそろえる場合など12という数を避けるようにしている。山の神への供物(くもつ)は全国を通じて粢(しとぎ)、餅などがあるが、とくに神の好むものとして海オコゼという魚がある。山の神への供物を女が食べると気の荒い子が生まれるといわれている。

神奈川県から山梨県へかけて正月21日の行事に、山の神の冠(かんむり)落としといって、篠竹(しのだけ)で弓矢をつくり山の神に供える。この日山の神が狩りをする。神は冠の落ちるのもかまわず弓を射るので、その矢に当たるかもしれず危険で山へは行けぬという。

九州博多(はかた)地方では、旧暦12月24日を山の神の洗濯日といい、その日はやはり山へ入るのを遠慮するという。[大藤時彦

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

山の神が女神であるとした場合、女舞の動きとなります。男神であるとした場合、男舞の動きとなります。

宮崎県西都市大字銀鏡(しろみ)の銀鏡神社に伝わるお話。

容姿が醜いため、結婚を断られてしまったイワナガヒメ。毎日毎日鏡を見続け、自分が美人に生まれなかったことをとっても悲しんでいました。そんなある日、いつものように鏡を見ていると、そこには岩のようにゴツゴツとした龍のように恐ろしい顔が映っていました。驚いたイワナガヒメは、後ろを向くと鏡を放り投げてしまいました。鏡は遠くの龍房山(りゅうぶさやま)まで飛んでいき、頂上の大きな木に引っ掛かり、ふもとの村をいつまでも明るく照らしたということです。

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いわながひめ 米良神社

インド神話では「ナガ(ナーガ)」は蛇神です。私は磐蛇姫だと考えて大蛇面で舞っています。苔牟須売神(こけむすびのかみ)でもありますし。

 

 

今年の年末、磐蛇姫の舞を舞うことにしました。