相撲(すもう)=素舞(すまい) 「すまひ」は「素舞」で力強い「しこ」(醜足)を踏むことに本来の意味がある。邪を祓う舞踏。

『民俗小事典 神事と芸能 吉川弘文館』より

 現行の相撲には大相撲のような競技相撲のほかに祭儀相撲がある。

 二人が向かい合い高く足を挙げて足踏みを繰り返し、最後に肩を抱き合って飛び廻る。

 神主から授かった榊の枝を「ホーイホーイ」の掛声に合わせて上げ下げしながら拝殿の周囲をゆっくりと歩き廻る。

 野神をまつる塚の上で、子どもらが二人ずつ向かい合い行事の合図で手を叩いて万歳をする。

 あたかも相手がいるかのように一人で相撲が演じられる。その場合、相手を神としてその勝敗によって年を占うとする例が多い。大山祇神社では、田の神と相撲をとって豊凶を占うといい、力士一人があたかも相手がいるごとくに相撲の手を演じながら土俵上を廻る。

 このように民俗の信仰行事の中で伝承されてきた祭儀相撲は、足踏みをするだけとか手を叩くだけ、あるいは肩を抱き合うだけで競技をしないのが特徴である。

 「すもう」は「逆らう」「抵抗する」ことを意味する動詞「すまう」の名詞化で古くは「すまひ」と称された。

 「すまひ」は「素舞」で力強い「しこ」(醜足)を踏むことに本来の意味がある。

 日本の相撲の起源を語ったとされる『日本書紀垂仁天皇紀の当麻蹴速(たいまけはや)と野見宿禰(のみのすきね)の相撲も「片足を挙げて相踏む。即ち当麻蹴速が脇骨を踏み折(さく)。亦其の腰を踏み折(くじ)きて殺しつ」と「しこ」を繰り返すものであった。これは悪霊や死霊や荒魂を踏み鎮めて社会を安全にする呪的足踏みで、もと「ダダ」、のちに反閇といわれるものにあたり、日本の祭儀と芸能におけるもっとも神聖な動作として伝承されてきたものである。

 このように「素舞」は宗教者の行なう鎮魂の呪的動作であったが、のちに鎮める役と抵抗する役が互いに威嚇し、争いあう物真似を演じる「相舞(すまい)」となり、悪霊を祓う力が強ければ強いほど大きな神の恩恵が得られるという信仰から呪力と体力が同一視されるようになって力競べが始まり競技化されていった。

 しかしその呪術性ゆえに農作物の豊凶を占う年占や雨乞い、地鎮にも用いられ、朝廷の節会の行事としても取り上げられたものと思われる。奈良時代末期頃から始まった相撲節には毎年諸国から相撲人を召し、左右に分かれて競技が行われていた。この相撲節に舞楽が行なわれるようになったのも、仮面をつけて地を踏み蹴る動作が相撲と同じように災禍を祓う呪的な力をもつものだったからであろう。

引用ここまで

 

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河童 益次郎@吉福社中

「相撲」は、古くは「素舞(すまい)」。邪を祓う舞踏呪術でありました。私の舞は醜足(しこあし)を多用します。