都牟刈大刀・天叢雲剣、ヤマトタケルが草を薙いで草那藝大刀・草薙劒と成る。

4月23日(土)13:00~武蔵御嶽神社にて、天叢雲剣を採物として、創作舞「野火の難」を奉納させていただきます。

野火の難

 八岐大蛇が酒に酔って眠った隙を見て、速須佐之男命は身に帯びた十拳の剣を抜きて、八岐大蛇をずだずだに斬り刻んだ。 ゆえに肥河の流れは血にかわった。 速須佐之男命が大蛇の中ほどの尾を斬った時、十拳之剣の刃がすこし欠けてしまった。 怪しいと思い、刀の切先で大蛇を刺し割ってみると、一振りの、都牟刈大刀(非常に鋭い大刀)があった。 速須佐之男命は大蛇の中から出てきた大刀を取り、不思議なものだと思い、天照大御神に事情を説明し、献上した。 これがすなわち、後世に云う草那藝大刀である。『古事記

日本略史 素戔嗚尊

 「ある書がいうに、元の名は天叢雲剣。大蛇の居る上に常に雲気(くも)が掛かっていたため、かく名づけたか。日本武皇子に至りて、名を改めて草薙劒と曰ふといふ」『日本書紀』神代紀上第八段本文の注。

 スサノオは「是神しき剣なり。吾何ぞ敢へて私に安けらむや(これは不思議で霊妙な剣だ。どうして自分の物にできようか)」と言って、高天原天照大神(アマテラス)に献上した。『日本書紀』第八段本文

 景行天皇の時代、天叢雲剣伊勢国のヤマトヒメから、東征へ向かうヤマトタケルに授けられた。 神剣を授けるにあたりヤマトヒメはヤマトタケルに言葉をかける。

草薙剣と共に火打石入りの袋を渡して「若(も)し急(にはか)なる事有らば、この嚢(ふくろ)の口と解(と)きたまへ」と詔る。『古事記

異伝では、「慎莫レ怠也(慎んで怠ることなかれ)」と訓戒した。『日本書紀』や『古語拾遺』 

 アマテラスはヤマトヒメに神懸りし、「さきのむまれ、そさのをのみことたりし時、出雲の国にて八またのをろちの尾のなかよりとりいでて、我にあたへしつるぎなり=この剣は、そなた(ヤマトタケル)が前世でスサノオであったとき、出雲国で八岐大蛇の尾よりとりだして、私に献上した剣です」と伝える。 『熱田神宮平安時代)記文』

 ヤマトタケルは自分のことを「我は卑しき氷川神(スサノオノミコト)」と言い、スサノオの生まれ変わりとしていた。『静岡浅間神社大歳御祖神社

……ということで、このあたりの流れを詠唱してみたいと思います。