巫は祝なり、女の能く無形に事(つか)へ、舞を以って神を降すものなり。

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鳥装の司祭者

八百万の神々~神楽面の世界 「鳥面鳥装」小考 千家和比子 より

さて、弥生時代の人物画である。そのうちに「鳥装の司祭者(シャーマン)」がある。この類の描画には、頭頂の羽飾り表現や、大きな袖を表わした衣装を纏い両手を万歳姿のように高く掲げるという特色がある。なかには、顔全貌面か部分面か判断し難いが、口ばし様の表現がある画像例もあり、「鳥面」着装が窺われる。そして、両袖先には採物、手指と思われるものが描かれるが、前者と見たい。鳥は神話伝承の「鳥之石楠船神(天鳥船)」のように天ー地を往来するものであり、異界を知り繋ぐ存在である。また「常世長鳴鳥」天若日子の神話で鳴き女とされた雉のように、鳴声で「時」や「吉凶」を知り告げる異界交信の霊鳥でもあった。では袖は何を象徴しているか、である。鳥の仮面仮装からは、素朴に直接的には鳥の羽ばたき姿と感じられるが、それは羽を「振る」動きである。そこで、その「振る」行為から想起されるのが、『万葉集』に散見する「袖振り」の歌である。

(中略)

では「振る」とは如何なる象徴性を帯びた所作であろうか。

振る=ふる=huruを逍遥する。h+rの組み合わせで母音変化させると、春(haru)

・晴(hare)・祓(harahi)・孕(haramu)・簸る(hiru)・領巾(hire)・洞(hora)・原(hara)などの語が思い浮ぶ。これらには、生命、エネルギー、パワーの内在・発現・あるいは存在を活性・清新に結ぶ、起死回生の望ましい状態を支持する原義を共有していることが看取される。振る(huru)もまたこの枠組みで理解される。つまり袖を「振る」ことはそれによって望むべき状況を顕現せしめようとするのであり、袖はそのための道具立てであった。したがって、前掲の歌は、袖を振る鎮魂・招魂・魂振り・魂乞いなどによって望むべき状態実現への呪祷を表現しているのであり、(後略)。

この「振る」呪祷は袖のみならず領巾(比礼)もまたそうであった。(後略)

袖・領巾は呪祷具であり、その呪祷のためのチカラを発動させる所作が「振る」行為なのである。とすると、羽ばたき表現も単なる飛翔の羽ばたきではなくそうした祭儀的意味をもつ「羽振り」所作と見なければならない。

鳥面鳥装で霊長に扮し霊的存在になり得る状況をつくり、「羽振り」によって鳥に観想するその霊的機能を憑霊体現し、共同体の人々の前に立ち現れるのである。袖振りの所作がなければ、鳥面鳥装の機能性は発現されない。こうしたことからすれば、『万葉集』に垣間見えた「袖振り」の呪祷行為の伝統性は、少なくとも弥生時代にまで遡る可能性がある。

引用ここまで

 

神武天皇は東征の際、羽ばたいている人に出会っています(古事記)。 

「亀の甲(せ)に乗りて、釣為つつ打ち羽挙(はぶ)き来る人、速吸門に遇ひき。」

少彦名命は、鳥の羽を着ていました(日本書紀神代上巻)。
「白斂(かがみ)の皮を以て舟に為り、鷦鷯(さざき)の羽を以て衣にして、潮水の隨に浮き到る。」

司祭者(シャーマン)は、鳥装という神衣を纏い、神(鳥霊)となります。鳥は古代の農耕において、「稲の穀霊」を運び、結界を監視し境界を守る「物見鳥」として神聖視されていました。古代の鳥居の横木には鳥形木製品が飾ってありましたし、古墳には鳥形埴輪が並べられていました。

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「巫は祝なり、女の能く無形に事(つか)へ、舞を以って神を降すものなり」

その字形について、両袖を持って舞う形である。桛(紡績具)を意味し、神衣を織って神を迎えるだけでなく宇宙や世界の秩序を新しく織りなす意図に出た呪具でもあるとする。(説文)

なみさんの舞にも、鳥の動きが入っています。

 

 

すこしずつ、形になってきました。鳥兜も衣装もすべて自分でつくりあげて本番に臨みます。「舞を以って神を降すものなり」を体現して欲しいと思います。