蛇の動きで舞うということは、嫌悪と畏敬という二元の緊張・矛盾・相克の中で舞うということ

蛇 日本の蛇信仰 吉野裕子講談社学術文庫 306-308Pより

日本民族縄文時代から蛇を信仰していたことは明白な事実である。原初において蛇は絶対の信仰対象であったが、知能が進むにつれ、日本民族の蛇信仰の中には、この絶対性、つまり畏敬とは別に、強度の嫌悪が含まれてくるようになる。

日本神話の中に描かれている蛇は、すでにこの種の絶対の信仰対象であった原初の蛇ではなく、畏敬と嫌悪の矛盾を内在させている蛇であり、しかもどちらかといえば、嫌悪の要素の方がむしろ勝っている蛇である。

畏敬と嫌悪、この二要素を内在させているため、蛇信仰はこれを口にすることも、筆に上せることも避けられて、多少の例外はあるにせよ、蛇信仰はもっぱら象徴につぐ象徴の中にその跡を隠して存続をつづけることになる。

その象徴の物実は、鏡・剣をはじめ、鏡餅・扇・箒・蓑・笠などのほか、外見からはほとんど蛇となんの縁もゆかりもなさそうなものが「蛇」として信仰されたのである。

それら夥(おびただ)しい蛇象徴物の出現は、日本における蛇信仰の衰退を意味するものではない。

強烈な畏敬と物凄い嫌悪、内在するこの矛盾が蛇の多様な象徴物を生み出す母胎であり、基盤である。

蛇がもし祖神として畏敬される一方の信仰対象であったなら、日本民族はなにを好んで蛇の象徴化をはかったろう。

同様に、もし蛇が愛されるというより、少なくとも嫌悪されるものでなかったなら、なにを苦労して象徴物を創り出したろう。

蛇象徴物は、日本民族の蛇に対する畏敬と嫌悪という二元の強度の緊張の上に出現したものであって、この二者の相克なしには到底生まれ出るはずのものではなかったのである。

このような緊張・矛盾・相克を祖神としての蛇に持たなかった台湾の高砂族は、現代に至るまで蛇そのものを露に木に彫刻し、衣服に刺繍して、その信仰を隠そうともしない。

ところが、日本人にとって蛇信仰はけっして単純なものではなく、蛇に対する畏敬と嫌悪は、「忌み」という言葉でなんとか統一し得た宗教感情であり、他方、「象徴化」という行為で克服し得た信仰でもあった。

そうして、この象徴化は、この二者の緊張が強ければ強いほど、より高度に芸術化され、洗練されていく傾向をもっていた。

物事の常として、洗練は洗練をよび、象徴化はその度合いをますます深めるものである。そうなれば、ついにはそれが一体、なんの象徴化であったのか、肝腎の本体は忘れ去られてしまう。本体が忘れ去られたとき蛇信仰は当然、衰退する。

中国地方の荒神神楽における蛇託宣、出雲の竜蛇様、日本各地に残る蛇縄神事など、祭りの表面に現れて、明確に残存している蛇も今日なお多いが、高度の象徴化の中に蛇としての生命を消滅させられている蛇はそれ以上に多いのである。

たとえば、鏡は鏡としてそれ自体、聖なるものとされ、鏡餅は神への供饌としてのみ扱われることが多く、扇は神の招(お)ぎ代(しろ)として認識されている。

引用ここまで

 

私の舞は、吉野裕子先生の著書の影響を強く受けています。衰退の一途を辿っている原初蛇信仰をテーマにした舞を、生涯をかけて追求することになるとは、35年前には想像できませんでした。振り返ってみると、私のこれまでの人生は、大蛇之舞を舞うために展開してきたのだと感じます。

蛇の動きで舞うのは、嫌悪と畏敬という二元の緊張・矛盾・相克の中で舞うということです。観てもらう舞というよりは、祖神・祖霊としての蛇神として舞うという感覚となります。民俗芸能として昇華させていきたいと思います。