イキイキとしたリアルさ

日本の舞踊 渡辺保著 岩波新書 88Pより

私に踊の本当の面白さを教えてくれたのは、七代目坂東三津五郎であった。

三津五郎が教えてくれたことは、およそ二つある。一つは、さまざまな人間たちの肖像を描き出す面白さである。もう一つはそういう具体的な描写からはなれた無意味な手ぶりの面白さである。

三津五郎は、その踊のなかに登場する人物になりきったばかりでなく、その人間が踊のなかでやってみせる人物にもなりきって見せた。その面白さは、普通の芝居で、役者が登場人物になりきる面白さをはるかにこえるあざやかさであった。

傀儡師という踊がある。

傀儡師は、中世以来傀儡廻しとも呼ばれた旅芸人で、人形を遣って町や村をめぐって歩いた。江戸の町にも、そういう傀儡師がいて、その風俗を写した風俗舞踊である。主人公はもちろん傀儡師その人であるが、同時にその傀儡師が人形を遣って見せる物語のなかの人間たちも踊って見せるのが、この舞踊の趣向である。

三人息子のところに登場する四人の女というのは、惣領息子の女狂いの相手で、清元の詞章に次のように書かれている。

「色と名がつきゃ夜鷹でも、瞽女(ごぜ)でも巫女でも市子でも」

手をつけてしまうというのである。夜鷹(街娼)、瞽女(目の不自由な人)、巫女、市子(霊媒)と、四つの職業の女を、わずかこれだけの文句の間に踊りわけなければならない。

三津五郎は、こういうところの踊りわけが実に絶妙であった。一瞬のうちに舞台に女たちの姿がうかび上った。

たとえば「夜鷹でも」というと、右手に茣蓙(ござ)を抱えてスーッと立つ。夜鷹という街娼は、手拭を吹き流しにかぶって、茣蓙を小脇にして暗闇から男の袖をひく。三津五郎を見ていると、傀儡師という男姿のままでありながら、そこになまめかしい女の立ち姿が浮かぶばかりでなく、その立ち姿の背後に江戸の町の、真暗な闇がサーッと流れるようであった。

それがまた一瞬にしてかわる。「瞽女でも」。ペタッと地面に坐って三味線を弾く目の不自由な女になる。今度は、ほこりっぽい江戸の道端の昼間。「巫女でも」というと今度は御幣をもつ女、「市子でも」というと霊媒の祈りのいかがわしい姿がうかび上がる。

これはむろん物真似であるが、物真似というような生やさしいものではなかった。女たちばかりでなく、その生活の気分、背景、人生までがあざやかに描かれる描写であった。

このおどろくべき描写力は、いくつかの特殊な条件によって成り立っている。

第一に変化である。次から次へと変化するから、その互いの対照で成り立っている。変化するからこそ実在感がきわ立つ。

第二に、この人物の肖像は、型で成り立つ。夜鷹だから茣蓙をもって立つ。つまりここで観客がもつ実在感は決してリアリズムではなく、抽象化され、演者と観客が十分了解済みである記号によって成り立っている。

第三に、私たちは、傀儡師一人が、化粧も衣装も変えずに十六人の人間をやって見せていることを、はっきりそこで見て知っているということだ。三津五郎の方もわざとそれをかくさない。そのことが観客の想像力を刺戟する。はじめから物真似だということが前提になっている。しかも、ここには、その前提をさらにおしすすめた設定が用意されている。

「(「夜鷹でも……」の件りで)一々文句通りの振をしますが、これがややもすると、ほんとの真似になり易いのです。これは人形が踊っている振のつもりでやるものなのです。……(お七も)ほんとの女形になってはいけないのです。……すべて、人形のつもりで、女形の振で踊るこころでやるものです。女形で踊るのではなく、女形の振で踊るこころで踊る、と、七面倒な言い方をしましたが、よく言葉の意味を吟味して貰えばわかる筈です」

この芸談を読んだ時、私は一瞬呆然としてわが目を疑った。あれほど私にはイキイキと見えた十六人の人間たちが全て人形のつもりだというのだ。あれが全て人形だというのは、どうも納得できない。色っぽく見えた女が、女形になってはいけないなんて。

そう思って、私はまた「傀儡師」を見に行った。しかし十六人の人間像はあいかわらずイキイキしている。そのイキイキした姿を見ているうちに、私は気がついた。あれだけイキイキしているのは、実はこの人形のつもりで踊るという逆説にあることに。

しかもそこにはもう一つの仕掛けがある。三津五郎は単に人形として十六人を踊っているわけではない。人形の真似ならば人形振だろう。それでは人形で踊るというのは、どういうことなのか。人形の心と人形を遣う人間の心を持つということなのだ。もう一度あの三津五郎の言葉を考えてほしい。「女形で踊るのではなく、女形の振で踊るこころで踊る」。たしかに「七面倒な言い方」であるが、この言葉の意味は、女を踊るのでも、人形を踊るのでもなく、女の人形を踊ると同時にその人形を遣っている人間……つまり傀儡師の心を踊るということなのだ。

人形の心と人形遣いの心。それは実は二つでありながら、一つのものだ。

人形遣いの人形と合体した心を三津五郎は踊っている。三津五郎の身体のなかには、人形の八百屋お七や牛若丸がいて、それと同時にそれを使う傀儡師がいる。お七や牛若丸が虚構だとすれば、傀儡師は現実であり、この虚構と現実との間に通い合い、したたりおちるものが、あの十六人の人間像を本ものにするのだ。

十六人の人間像を支えるものの第四の条件は、この実在感が踊のなかの物真似だという点である。

「物真似とは舞踊の大事な要素の一つとして、なくてはならないものなのです。それで、私たちの舞踊に、一つの科(しぐさ)としてのものが入って来たので、例えば踊の振に酒を飲む科をして、酔うた所作をするのも、みな物真似なのです。それで、私たちのやっている舞踊の中には、一番この科が振として多く入っているのです」

「傀儡師」にも、二番目の息子が「下戸のふりして酒のまず」というところで、酒を飲む振がある。酒を飲まないという真面目そうな顔をしていて、実は盗み酒をするというところである。すわった三津五郎が左袖で人の目をさけ、右手に猪口(ちょこ)をもって、上目づかいに上手を見ながら、ソッと猪口を口にもっていく。見事な描写で、盗み酒の雰囲気が舞台いっぱいになる。しかし、よく見ると、左手で袖屏風をしながら、右手に猪口をとった時に、三津五郎は右半身をグーッと引いて、ちょっと間をとる。リアルにいえば、盗み酒をしようとする人間がそんなことをするわけがない。人目につかないうちに一刻も早く飲みほしてしまうはずだろう。ところをそうしないのは、猪口をもつまでが物真似で、猪口をもった瞬間に踊になり、酒を飲む瞬間は物真似で、次の瞬間はまた踊になるからである。つまり物真似……踊……物真似……踊という風につながっているのだ。もっともこのつながりは、その時々で交互にあらわれてくるように見えるが、実は三津五郎の身体の中にすでに二重の構造として存在しているものであって、その時々でそのどちらかが表面化したものにすぎない。

したがって物真似といっても、これは、この関係によってはじめて成り立つもの、実在感をもつものであって、普通にいうリアリズムや単なる物真似、模写なぞとは全く違うものである。あのイキイキとしたリアルさも、この踊との関係によってこそはじめて生気をもつものだ。

物真似は踊というものとからんではじめて生きるものであった。

以上の四つの条件、第一に変化、第二に型、第三に人形、第四に踊。この四つが、あの人物たちの肖像をイキイキと舞台に描写するための条件であった。

こういう条件によって支えられた肖像は、たしかに三津五郎のいう通り、物真似であろう。私たちは物真似というとなんだかあまり高級でも芸術的でもないように思うが、三津五郎の物真似はそんなものではなかった。これが物真似といえるかというほどにリアリティをもっていたし、なによりも深く人間の心に滲み通るものであった。

私がもうひとつ、三津五郎に教えられたことは、ほとんど意味をもたぬ手ぶりの面白さであった。

引用ここまで

後編に続く