踊には難しい理屈はありません。拍子に合せて、心のままに動いて、それが気楽に、ゆったりと、こころよい感じを与える……これが踊のしんになるものです

日本の舞踊 渡部保著 岩波新書 103Pより

三津五郎の踊は「キマリ」があざやかで、味わいの深いものであった。「キマリ」というのは静止したポーズのことであるが、このポーズの身体が黄金分割のようにバランスのとれた美しさであった。黄金分割というと鋭角的かつ幾何学的にキチッとしたものを連想しがちであるが、そうではない。やわらかく、ふんわりと、角のないバランスである。

花道の、撥をもった左手を立て、左足にかかって、右手をのばしたキマリはその代表的なものだろう。しかしこのキマリもちょっと見ると、なんの苦もなくキマッたというような感じに見える。ごく自然な身体のバランスを保っているからだが、よく見るとその身体の姿が、深く、豊潤で、人をうっとりさせるような美しさをもっている。牧谿水墨画を見るように深い味わいが、その姿からやわらかくにじみ出ている。

この三津五郎のキマリの秘密は、実はそこまでもって行く身体の動きの運びにある。キマリは文章でいえば、句読点のようなものであり、そこで一つのセンテンスが終って、全体が見えてくると同時に余情が立ちのぼってくるところである。だからどんな踊り手でもそこだけはキレイにキマろうとする。しかし三津五郎はそんなことをしなかった。キマリだけがあざやかだというのではなく、そこをあざやかに見せるためには、そこまで行くところがあざやかでなければならないという風であった。決してキマリだけを特別視していない。

自然な身体の動きを運んでいって、ふんわりとまるくキマる。だからいうにいえないやわらかな余情がにじみ出る。決してパッとキマッたりはしない。そういう自然な芸であった。

三津五郎に踊の思想というものがあるとすれば、それはこの自然なというところにあったと思う。

「踊は自然に自然にと運ぶもので、決して無理な形や、無理な動きを強いるものではないからです。例えば、両手を左右に水平に上げて、右足を一歩斜めに出すと、左右の手は矢張り水平にあるものではなく、ひとりでに上下の差がついてきます。それが自然な形なのです」

この自然な形がつながってキマリになる。三津五郎の踊を見ていると、キマリだけがキマリではなく、一つ一つの動きのなかにキマリが潜在的にふくまれていて、それが最後にフッと形になるという感じがした。あの味わいの深さは、この身体の奥深くからおこる、自然な姿を形にしていくところにあるのだ。

三津五郎のさり気ない言葉が、今となっては、私に重く感じられる。自然に自然に動いていくものが踊だというのは、ナチュラリズムなぞとは全く関係のない、深い思想である。

三津五郎の次のような言葉を、それにつなげて読むと、あの三津五郎の、千古の昔からそう定まっていたように見える自然さのもたらす快楽がどういうものか、少しはわかりやすいかもしれない。

「踊には難しい理屈はありません。拍子に合せて、心のままに動いて、それが気楽に、ゆったりと、こころよい感じを与える……これが踊のしんになるものです」

三津五郎自身が、この言葉を「大変ぼんやりとした言葉」だといっているが、たしかにその通りである。しかし、よく読めば、この言葉がいかに深い意味をもっているかがすぐわかる。「心のままに動く」というが、踊り手は決して自分の「心のままに動く」ことなぞ許されていない。決まった振付の通りに動くしかないのである。それを「心のままに動く」とすれば、振自体が自分の身体の血肉となって「心のままに」なっていなければならない。

しかも三津五郎はそれが「気楽に、ゆったりと、ここちよい感じを与え」なければならないという。「感じを与え」る対手は観客である。踊り手自身は「気楽」でも「ゆったり」でも「こころよい」のでもない。踊り手にとって踊は仕事、労働であり、つらいことも苦心もあるだろう。しかしそういうものは、一切忘れて、一目には「気楽に、ゆったりと、こころよ」く見えなければならない。つらさ苦心をかくすことはできる。しかし、そういうものを一切忘れて、無心に「気楽」であり「ゆったり」であり、「こころよ」くなければ観客に見破られる。そういう境地に立つのはなみ大抵なことではない。この境地は、ある意味では、自然に観客と同じ心に遊ぶという境地だろう。とすれば、この「こころよ」さが、私の生きるための力になったのはむしろ当然のことであった。三津五郎の求めた自然さは、また私の身体のなかの自然……生きようとする身体自身の力につながったからである。

私はなにもわからなくてもいいと思った。「踊には難しい理屈はありません」。踊りは意味ではない。身体の共感である。三津五郎の身体の動きは意味の上からいえば謎めいていたが、そんなことを考える必要なぞ私には全くなかった。身体の動きという点からいえば、謎めいているどころか明快、透明そのものだった。自然で、純粋で、柔軟で、そういう記号のようで、私にはただ快かった。そのしなやかな、まろやかさを見れば、私にとって意味も洒落もなにもなかった。全てを忘れて、自分自身さえも忘れて、私は、三津五郎の身体の動きにひたっていた。

そういう時に、三津五郎の身体からただ一つきこえてくるものがあった。音楽である。三津五郎の身体そのものが一つの楽器であり、全てが忘れられた世界で、身体だけが音をならしていたからである。身体そのものが音楽であり、その音楽を私たちは見たのだ。
「歌詞がこうなっているから、こう踊る、この振はこういう意味だからこう踊る、とか、そういう理屈がかったことは、芝翫は殆ど知らなかったと思います。しかし、芝翫が踊ったのを見ると、それが一々そのつぼにかなっていました。解釈の正しい踊になっていました。非常に自然な踊でありました。非常に自然な踊、と口では簡単に言えますが、そうなるまでが大変なのです。芝翫の踊はきちんきちんとは合いませんが、急所になるとぴたッと合うのです。恐ろしいくらいです。わざと逃げるとか、わざとあわないとかいうのではなく、極めて自然に踊っていて、また合すべきところでは自然に合っているのです。ほんとうに巧まない、よい踊でありました」

芝翫の踊は、実に観客をたのしませ、浮き浮きさせたものだという。
引用ここまで

 

 

「全てを忘れて、自分自身さえ忘れて、誰かの動きにひたる」

そんな経験をしたことがある人は、生きるのが楽しいと思います。

身体操作を生業とする者は、自らの動きにその力を宿す必要があると思います。

人生の苦悩や絶望など歯牙にもかけないほどに消し飛ばしてくれる陽気さ。

 

大蛇乃舞は、人ならざるモノと化して舞います。

その動きを見た者は、生きようとする力を得ることができるのです。