舞うとは廻ること。身体の構えのなかでもっとも大事な中心は腰である。

日本の舞踊 岩波新書175/渡辺保【著】より引用いたします。

 

能の舞は、能面をつけて装束をまとい、中啓(扇)を手にして、囃子・地謡につれて、すり足でゆったりと、ときには袖をひるがえしつつ舞台をめぐります。その動きはシンプルで、少ない動きの組み合わせと繰り返しから構成されています。中啓を前方上から自分の前にもってくる動き、両手を開きながら3足下がる動き、舞台を廻る動き。舞とは廻ることを意味していて、廻ることよって、神が舞い手の身体に憑依する……

明治の踊の名人、二代目藤間勘右衛門は、舞と踊の違いを次のように語っている。

「舞は型で締めていくものでございますから、あげて見せる足の、趾先まで全身に力を入れますので、前が下がり気味になります。踊りでは、立つ足に力を持して、片足をあげますから、趾先をあげて見せるなぞ、異なった点がございます。」(「踊りの順逆」『演芸画法』大正十年二月号)

舞の足が下がるのは、様式の圧迫のためである。踊りの足のつま先があがるのは、様式から自由だからである。舞と踊りの違いは、この自由さ、不自由さにある。

舞は身体を不自由にすることによって、逆に精神的なもの、目に見えない世界の自由さを獲得しようとしている。踊は逆に身体の自由さを求めて、その自由のよりどころを精神にさぐろうとしている。出発点は全く逆であるが、心と身体が一つになり、身体をこえて心の自由さを求めている点では、舞も踊もかわりがない。舞も踊も、所詮その心のおきどころが大事である。

大事なのは、腰が入っているかどうかである。腰が入っていることは、全ゆる舞踊の基本である。腰が入るとは、身体の重心が両足の間の垂直線上にあることをいう。その重心がしっかりしているために、足がどう動こうが、片足で立とうが、上半身が揺れたり、身体全体がくずれたりしない。このことは、単に身体の動きそのもののために必要なだけではなく、身体をさまざまな役に変化させるために必要なのである。舞い手踊り手は、この腰をバネにして、いろいろな人間、精霊になり切る。したがって身体の構えのなかでもっとも大事な中心は腰である。

引用ここまで

 

今年の大晦日は、夜舞を予定しています。

コツコツ、準備をしたいと思います。