舞と踊りの区別~舞は周囲から囃されて身体を動かすもの、踊りはみずからを囃して動くもの。

民俗小事典 神事と芸能 神田より子/俵木悟 355-356Pより

舞と踊りの区別については、近代以前に唯一、近世の国学者本居内遠の『賤者考』があり、「舞は態を模し意を用ふる故に、巧にて中々に賤しき方なり、踊は我を忘れて態の醜からむもしらず、興に発しておのづからなるが根元なる故に、却りては雅びて洒落なる方あり」とする。

近代の日本民俗学においては、折口信夫が「旋回運動がまひ、跳躍運動がおどりであった」とし、柳田国男は「踊は行動であり、舞は行動を副産物とした歌または「かたりごと」である」とする。

また近年には新たな視点からの発言もある。舞を周囲から囃されて身体を動かすもの、踊りはみずからを囃して動くものとした。

歴史的には能を舞といい、近世の歌舞伎は踊りで上方舞は舞、江戸は踊りで上方は舞、舞は貴族的で踊りは庶民的など、舞台の舞踊についても舞と踊りの概念は用いられている。

民俗の世界においては舞と踊りとで関わる神の様態を異にし、そこに現出される世界の構造が異なる。つまり舞は巫女舞を原型として守護神的な神の来臨を仰ぎ、そのために結構された特定の場で一定の資格を有するものによって舞われ、神と媒介者と人との垂直的な世界を現出する。一方の踊りは祇園精霊会などに発して疫神などを地域から追い払うために移動することを本質とし、これが逆転して祖霊と関わる場合にもその移動性は失われず、地域あるいはその外という水平的な世界を現出する。

引用ここまで

 

囃子とは、声や楽器で歌舞を誘い込んで調子に乗せ、ときには自らもその雰囲気に浸ることを指します。舞においては、周囲から囃される必要があります。この概念は、私にとってはとてつもなく重要で、「需要のないところに舞はない」といつも感じております。踊りは、需要がなくても踊れると考えています。需要もないのに「~の舞」とうたってみても、それは踊っているだけなのではないかと思います。

無音で舞うときも、周囲から囃されている必要があります。このあたりの感覚は文章では伝えづらいので、縁あってその場で伝えることができたらと思います。