技法の基本は「構え」と「腰」。「滑るように足を使い角をとる」ように動く。

「動かんやうにして舞ふ。つまり、表現(あらわしかた)を内省(うちうちに)して、出来るだけ描写を要約(つづめるように)するのどす。ぢっとしてゐて舞ふ。それが、本行舞(ほんぎょうまい)どすさかい、第一に構へが六ヶ敷(むずかし)い。腰に充分力が這入(はい)ってゐんなりまへん。手と足にも力が這入ります。それを舞ふてゐあひだ、ゆるめることが出来まへん。この熱意と力量(ちから)が抜けると、ふはんとした、気抜けしたやうな風になって、形がつかんのどす。ことに本行舞は足が大切(だいじ)で、すり足をしますが、普通の舞は、踵(きびす)を皆んな上げるのどす。このかかとの上がらん妓(こ)がようあるもんどす。」(松本佐多)

佐多さまは、技の基本は「構え」と「腰」だとされたあったそうです。

 

「舞」と「踊り」と「振り」について整理してみます。

舞は、「古代から中世」に「まわるという意味の旋回運動」として「滑るように足を使い角をとる」ように動き、静的・意識的に舞われました。倭(やまと)舞、隼人舞、神楽舞、五節舞幸若舞、曲(くせ)舞など。

踊りは、「近世」に「跳躍運動」として「両足を大地から離す」ように踊り、動的・熱狂的に踊られました。風流踊り、念仏踊り、かぶき踊り、大踊り、伊勢踊り、鹿島踊りなど。

振りは、「全時代」に「旋回運動と跳躍運動」として「すべりとぶ」ように動き、物真似として振られました。魂振り、御輿ふり、身振り、小唄振りなど。

『岩波古語辞典』によると、「振り」とは、「物が生命力を発揮して、生き生きと小きざみに動く意。また、万物は生命を持ち、その発現として動くという信仰によって、物をゆり動かして活力を呼びおこす意。その信仰の衰えとともに、単に物理的な振動を与える意」だそうです。

振りとは物にやどる神の働きであり、はじめは「神が出現すること」であり、つぎには「神を出現させること」に変わっていったそうです。出現させる役は「シャーマン(巫覡=ふげき)」であり、出現した神はシャーマンの肉体をかりてその意思を伝えたようです。やがて、神がかりしたシャーマンが、自らの肉体にやどった神の所作を演じることから舞踊が生まれることになります。

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岩戸ひらき

日本において、はじめは『舞い(ひ)』……旋回中心の所作が主流でした。近世以降『踊り』が中心になっていきました。古代の舞はおもに鎮魂儀礼を目的としていたと考えられています。かつては「神遊び」と呼ばれていて、「神舞」とよく似ていたようです。神がかりするということは、ある種の巫女舞であるといえます。そして、中世以降は「風流(ふりゅう)」というかたちになっていきました。

 

鹿児島笠沙恵比寿での舞は、「構え」と「腰」にこだわりたいと考えております。