3月22日の笠沙恵比寿での舞は「四方拝(しほうはい)」「方堅(ほうがため)」「鈴振(すずふり)」「天の八衢(やちまた)」「魚釣舞」を納めます。

3月22日(日)の鹿児島県笠沙恵比寿の舞は、最初に奈見さんの「四方拝(しほうはい)」「方堅(ほうがため)」「鈴振(すずふり)」から始まります。

方堅めは、「神宮奉納ノ翁舞二当リテ、先ヅ鳥兜ヲ冠リ、伶人ノ如キ衣装ヲ着ケ、箸ノ如キ揆ホドノ木ヲ持チテ、舞台ノ四隅ニ立テ、四方ヲ拝シテ舞ノ如キ所作ヲナス(神宮奉納の翁舞にあたっては、まず鳥兜を冠り、伶人のような装束を着て、箸のような撥くらいの木を持って、舞台の四隅に立て、四方を拝して舞のような所作をする)」とされています。

豊受皇大神宮年中行事今式に記された呪師の所作、「猿楽之徒三人、各箸鳥兜、装衣裳、左援袍、右堤鈴、出舞台中間、鼎立、鳥月行、不謳不鼓、只擎袍、鈴撼、廻舞(猿楽の徒三人、それぞれ鳥兜をつけ、衣装をよそおい、左にばちをとり、右に鈴をさげ、舞台の中間に出て、かなえのように立ち、鳥のようにめぐり、うたわずつづみを打たず、ただばちをささげ、鈴を振りて、廻り舞う)。」を読んでいると、本来はこんな風に舞われていたのだなと感じます。

続いて、私と智美さんで「天の八衢(やちまた)」を舞います。天照大神の岩戸隠れの際、天の岩戸の前で舞ったアメノウズメノミコト(猿女)さまは、サルタヒコ大神さまの妻神として祀られます。そして猿田彦は猿楽師(申)の祖(おや)神として祀られています。

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サルタヒコさまとアメノウズメさま

ニニギノミコトさまが天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた=道がいくつもに分かれているところ)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこでアマテラスオオミカミと高木神はアメノウズメノミコトに、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神のサルタヒコ大神で、ニニギノミコトらの先導をしようと迎えに来た。

ニニギノミコトらが無事に葦原中国に着くと、ニニギノミコトはアメノウズメノミコトに、その名を明らかにしたのだから、サルタヒコ大神を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った。そこでアメノウズメノミコトは「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになったという。

吉野裕子全集〈第5巻〉118~119P より引用します。

この描写から推測される猿田彦は、その身丈の長大さ、眼の輝きが赤く異常なことなど、八岐大蛇(やまたのおろち)さながらである。『捜神記』(四世紀)のなかの蛇も、「目は直径二尺の鏡の如し」と描写され、これらを考え合わせると、猿田彦は蛇であることを神話は暗示している。

さきにわたしは、天孫を出迎えた猿田彦こそ伊勢大神であり、かつ蛇神であろうと推測したが、『日本書紀』によれば、その猿田彦五十鈴川の川上に向かったということである。ここに「五十鈴川に祀られる神こそ伊勢大神の前身である」という古伝承を合わせると、

猿田彦五十鈴川の神(『日本書紀』)

五十鈴川=龍蛇=伊勢大神(古伝承)

ということになり、猿田彦が蛇神で伊勢大神であろうという推測が、にわかに現実味を帯びて迫ってくるのである。

引用ここまで

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大蛇

サルタヒコ大神は御先に立って道案内をし、ニニギノミコト一行を『阿多の笠沙御前(みさき)』に導きました。現在は、『道を示す神』として祀られています。大隅半島には佐多岬もあります。

当日は、サルタヒコ大神とアメノウズメノミコトの問答と矛の受け渡しの場面を、サルタヒコの力強い舞とアメノウズメノミコトの勇ましくもやわらかい舞を合わせて舞います。

 

そして、最後は恵比寿さまの魚釣舞です。恵子さんの面白おかしい舞を楽しんでもらおうと思います。とりあえず私が、イメージ動画を撮ってみました。 

定番の「まき餌」の場面は、お菓子に加えて福銭をまこうと思います。

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福銭

 

もしかしたら、「天の八衢」「魚釣舞」も、歌なし、囃子なし(太鼓・笛なし)、音楽なしで舞うかもしれません。廻り舞うことに集中したい思いが強くなっております。

 

笠沙恵比寿のおまつり、詳細決まったらお知らせさせていただきます。ぜひ、おいでくださいませ。