陰(地)に猿田彦神、陽(天)に天鈿女之命。陰と陽、天と地の、往来・ 交合を祈ります。

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猿田彦大神さま

幣方の優雅さと鬼の荒々しさとが見事に調和した勇壮な舞いが特徴の御先(御前)神楽という神楽があります。「 みさき(みさぎ)」 神楽と読みます。神仏習合的には駈仙(みさき)と記載され、意味合いは陰陽の交替・五行循環を祈るものと伝えられています。 

天津神である邇邇芸之命が高千穂の峯に天降るときに、行く道に立ち塞がる国津神である猿田彦神のところに天鈿女之命が使者として行き、猿田彦神が何者かと問いただし、 天孫降臨の道案内に来たことを突き止める場面を神楽化したものとされています。

陰と陽の交替( 往来・ 交換・ 交合)=天と地の往来・ 交合を祈るとされており、陰(地)に猿田彦神、陽(天)に天鈿女之命があたります。駈仙は国津神である猿田彦神、幣方(ほしゃどん)は天津神である天鈿女之命です(豊前市神楽講) 。

駈仙=鬼=隠(おに)=於爾であり、姿は見えない「陰」の象徴。「ミサキ神は初め嚮導神であり祖霊であったものが、その 慰霊の強さを信じられているうちに怨霊化し憑き物化したもの 」(染谷多喜男)

陰だけでは平穏に推移しないため、これに対応する陽が必要となり、 幣方(ほしゃどん)がその役を担うこととなります。

駈仙は四股(しこ)=反閇(へんばい)= 禹歩(うほ)を踏み、地霊を鎮めて邪気を祓い正気を迎え、幸福を招きます。駈仙が前に進むときに、左足を出して右足を引きつけます。次に右足を出して左足を引きつけます。また、左足を出して右足を引きつけます。この所作を3回おこない、この3回を1そろいとして、9そろいおこないます。

※参考 ぶぜんの神楽「豊前の岩戸神楽報告書」

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瓊々杵尊降臨・天之八衢・安田靫彦

日本書紀巻二第四話「皇孫降臨」より要約

高皇産霊尊瓊瓊杵尊八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授けて「この三つの神器(じんぎ)が、お前の家系を守ってくれるだろう。帝位の証として子々孫々まで受け継ぐように。」と言った。 そこへ先払いに送った神が戻ってきて「一人の神が行く手におります。鼻が七握程もあり、目は八咫鏡のように輝いて赤ほおづきのようで、背の丈は七尺あまりもある大男です。」と報告した。

高皇産霊尊は「天鈿女命よ、先に行ってその者に会って来てはくれぬか?」と命じ、天鈿女命は自分の胸を露わにし、腰ひもを臍の下まで下げて、笑いながらその者の元へ出向いた。

大男が天鈿女命に、「何故そのような格好をしているのか?」とたずねると、天鈿女命は、「あなたは、誰です。皇孫が降臨なさろうとしている通り道に、何故あなたは立っているのです?」と尋ねると、大男は「私の名は、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)。皇孫が降臨されると聞いてお待ちしているのです。」と答え、「私が先に行って道を切り開きましょう。」というと、天鈿女命は「何処に行こうというのです?皇孫は何処へおいでになるのです?」と尋ねると猿田彦大神は「皇孫は筑紫の日向の高千穂(たかちほ)の峰においでになるでしょう。私は伊勢の狭長田の五十鈴(さなだのいすず)の川上に参ります。」

天鈿女命は帰って報告し、皇孫は高天原から日向の高千穂の峰へ降り立った。猿田彦大神は約束通り皇孫を案内すると伊勢の狭長田の五十鈴の川上に向かい、天鈿女命は猿田彦大神に従って送って行った。

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大日本国開闢由来記・天之八衢

古事記では、ヒコホノ二二ギノ命が、天降りなさろうとするときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神がいた。そこで、天照大御神と高木神の仰せによって、アメノウズメノ神に命じて、「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせず圧倒できる神である。だから、あなた一人で行ってその神に向って、『天つ神の御子の天降りする道に、そのように出ているのはだれか』と尋ねなさい」と仰せになった。それでアメノウズメノ神が問いただされたとき、その神が答えて申すに、「私は国つ神で、名はサルタビコノ神と申します。私がここに出ているわけは、天つ神の御子が天降っておいでになる、と開きましたので、ご先導の役にお仕えいたそうと思って、お迎えに参っております」と申し上げた……と、なっています。

御嶽神楽の地割(ぢわり)の問答も意味深いので、いつか記事に書きたいなと思います。

 

3月22日の「天之八衢」の舞は、『陰( 地)に猿田彦神、陽( 天)に天鈿女之命』の設定で、陰と陽、天と地の、往来・ 交合を祈ります。なみさんが舞う「四方拝(しほうはい)」「方堅(ほうがため)」「鈴振(すずふり)」に続き、智美さんのアメノウズメの舞、そして私のサルタヒコの舞(四股)、そしてふたりで舞い、恵子さんの『恵比寿魚釣舞』へとつなげたいと思います。

思うところあって、今回は囃子(拍子をとり雰囲気を高めるために添える音楽)なしで舞いたいと考えております。無言劇(黙劇)的に、「台詞ではなく身体や表情で表現する形態」をとりたいと思います。もっとも、私と恵子さんは舞面をつけるので表情は使えませんが。『身振り手振り(mime=マイム)』にこだわって舞いたいのです。

古代ギリシア語のmimos(ものまね)という言葉は、『呪術的な模倣所作』とされており、劇の始源的形態に共通して見ることができるそうです。20世紀初頭に、チャップリンをはじめとする多くの名優によって無声映画のなかで再生しました。日本では、日本書紀中の火闌降命(ほのすそりのみこと)=海幸彦が海に溺(おぼ)れるさまを表す演技をする隼人舞があります。笠沙は隼人の地、私たちも無声の舞を舞いたいと思ったのです。

 

大隅隼人舞

とはいえ、囃子がないのは厳しいので、みっちり練習を積んでのぞみたいと思います。