ヤアタノオロチノマイ

11月21・22日、奥出雲にて「八岐大蛇乃舞」を舞います。

紀元前15世紀頃のアナトリア半島で、人類で最初に製鉄法を発明した古代ヒッタイト帝国の首都「ハットゥシャ」……八頭蛇と読めることからつながりがあるのではないかとする説があります。他民族が青銅器しかつくれなかった時代、製鉄技術によりメソポタミアを征服し、最初の鉄器文化を築いたとされます。最近ではヒッタイトが製鉄法を発明したのではなく、ヒッタイトが征服した先住民だった可能性が高いともされています(ヒッタイトより古い時代に鉄がつくられていたようです)。アナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されており、ヒッタイトは紀元前1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼(はがね)を開発し、鉄を主力とした最初の文化をつくったそうです。

ヒッタイトの滅亡によって、直接製鉄法(塊錬鉄製鉄法)が各地に伝わっていったそうです。踏鞴製鉄は、800℃位の低温で鉄塊を製造し、鉄塊を再度加熱製錬・鍛造(ハンマーで叩く)する方法だそうです。

八岐大蛇退治に酷似したヒッタイトの龍退治神話。嵐の神「プルリヤシャ」が、様々な種類の酒を瓶に入れて小屋に隠すと龍の神「イルルヤンカシュ」が酒の匂いに誘われてやって来て酔い潰れたところを斬り殺したというもの。

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Illuyankas

八幡(やはた)……ヒッタイトの製鉄技術が、後の八幡製鉄につながったとする説もあります。奥出雲と八幡は、元はひとつだったのかもしれません。

「ハットウシャ」は「八頭宇佐(うさ)」。ウシャ~うさは「社(神殿)」。製鉄の民は北方の天空に輝く北極星を祀ります。北極星(天神アン)を祀る社。ハティムアン~八幡。宇佐には、八幡神が老いた鍛冶の翁となって示現した話が残っていたりします。

『八幡宇佐宮御託宣集』には、欽明天皇三十二年(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ。豊前国宇佐郡厩峯菱形池の間に、鍛冶の翁有り。首甚だ奇異なり。これに因って大神比義(おおがのひぎ)、穀を絶つこと三年、籠居精進して、即ち幣帛を捧げて祈って言く。「若し汝神ならば、我が前に顕るべし」と。即ち三歳の小児と顕れ、竹葉に立ちて宣く。「我は是れ日本の人皇第十六代誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。我が名は、護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりきじんつうだいじざいおうぼさつ)なり。国々所々に、跡を神道に垂れ、初て顕るのみ。」

「宇佐宮託宣集に『鍛冶翁(かじのおきな)あり、奇異(きい)の瑞(ずい)を現(あらわ)して、一身八頭(の大蛇)となる』と記載された部分があり、あの一身八頭の大蛇である八岐大蛇(やまたおろち)は宇佐八幡神の姿であり、九州方言で大蛇のことを「ヤアタ」と呼ぶことなどから、八幡は「ヤワタ」と読むのが正しく、特に、製鉄と密接に関係している」富来隆

原始八幡神は蛇神だったのかもしれません。「八咫」は、「ヤタ」と読まれていますが、「八尺(やた)を訓(よ)みて、八阿多(やあた)と云(い)う」と、古事記にあります。やあたの剣(つるぎ)とやあたの勾玉(まがたま)と、播磨国風土記にあります。やあたの三種の神器はすべて蛇に還元できます。

阿多……薩摩にある私の大切な地です。

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原始八幡神創祀遺跡 (学説 ) 金富神社

石見国安芸国の境にある八面山のふもとに、むかしから草刈りをしない場所がある。ここで八頭の蛇を見た人がいる。この蛇が怒る時は眼が光り、見る者は気を失うという。

八面山…大分県中津市にもある私の大切な地です。

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石見國八頭蛇

宗教学者ミルチャ・エリアーデさまは、蛇は『混沌』であり、形無きものを象徴し、蛇を統御することは、形無きものから形有るものへと転移する創造の技である。形有るものとは『秩序』である。すなわち、混沌を自然とし蛇の世界であるとすれば、秩序は文化であり、人間の世界である」と、「永遠回帰の神話」のなかで述べてあります。

乞われるままに各地で舞ってきましたが、今回の奥出雲でつながりそうな感じがしております。

硬さと軟らかさという相反する性質を、ひとつの身体につくりだす。

鋼だけでつくる本焼き包丁の動画。刀をつくれる人間にしかできない技術。

 

硬さと軟らかさという相反する性質を、1本の包丁につくりだす。

鋼は、熱してから急激に冷やすと硬くなる。

ゆっくりと冷やすと、軟らかくなる。

波紋は、硬さと軟らかさの境界線。

刃物づくりに学ぶことがたくさんあります。

「ひょうたん(瓢箪)」

昨日、宇佐で舞の採り物となる「ひょうたん(瓢箪)」を仕入れてまいりました。

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舞採物「ひょうたん」

溝口ひょうたん本舗さまの天然ひょうたんは、とても品質が良いです。

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溝口ひょうたん本舗さま

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ひょうたん由来記

「霊は窪んだ物に依る」とされ、「採り物」と呼ばれる柄杓状の呪具が使われますが、私はさまざまな理由で「ひょうたん」を手にしております。古来より、縁起のいいもの、おめでたいものとしてひょうたんを飾ってきました。お守りとしても大切にされてきております。人類最古の栽培植物という説もあります。祭器、神器、呪具などの儀式用具として用いられてきました。

水を汲む道具として使われてきたことから、水神や火神を鎮める呪具として用いられてきました。中が空洞なので、神霊の入れ物とみなされました。ひょうたんには疫病神などの邪気をその中に取り込む呪力を持っているとされており、今年の新型コロナウイルス流行鎮静の舞でも採り物としました。私は、ひょうたんを手に鎮疫舞を舞います。

息災乃舞と増益乃舞

息災(滅罪)乃舞は、一心に懺悔し罪業を除くことで災禍が起こらないように祈り、障礙を息(や)すめる舞です。今年の春に新型コロナウイルス流行鎮静を祈って舞いました。流行は鎮まりつつありますが、コロナ禍により経済状況がよくありません。なので、繁栄と利益を祈り増益乃舞を舞うことになりました。息災は現在マイナスのものをゼロへとリセットし、増益は現在ゼロのものをプラスにするとされており、除災招福を祈ります。まあ、現代では迷信とされておりますが、私は大真面目にやります。

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大蛇面(青)

大蛇面をかけ、装束をまとい、採物を手に舞庭に立つ。エンターテイメント(娯楽)ではなく古代咒術として舞う。誰に観てもらうためでもなく、技法を奉納する気持ちで。実際、観て面白いものではありませんし、見世物ではありません。咒術とはそういうものだと考えております。

コロナ禍をきっかけに、エンターテイメントとして舞うことがなくなった舞人たちは多いようで、私同様に祈りとして舞うようになったというお話をよくお聞きいたします。本来はそうあるべきだったのでしょうし、それがいちばんだと思います。私も、そうしていきたいと願っております。

蛇木(ははき)~箒(ほうき)を採物として舞う

採物とは、舞人が手にして舞う神聖な物であり、神の降臨する依代(よりしろ)です。手に採物を採って舞うという行為には清めの意味があります。それは同時に舞人が神懸(かみがか)りする手だてともなります。採物を手に持って舞うことにより、神力が発動すると考えられており、採物に降臨した神を舞人自身に降ろし神懸かりに至ります

天の岩戸における天鈿女命の神懸りも,笹葉を手草(たぐさ)に結ったとか、茅(ち)を巻いた矛を手に俳優(わざおぎ)したとされています。採物は、神楽、能楽、歌舞伎、舞踊などに継承されております。

古語拾遺に、「古語に、大蛇(おろち)を羽羽(はば、はは)と謂う」とあります。古事記には「天羽羽矢(あめのはばや)」とあり、大蛇のように威力ある矢、または大蛇を射たおす矢と考えられております。また、羽の広く大きな矢ともいうようです。スサノオが大蛇を斬った剣は、天羽羽斬(あめのはばきり、あめのははきり)とされております。天羽羽斬が大蛇を斬った刀であるので、羽羽矢は大蛇を射る矢と考えるのが妥当な気がいたします。

吉野裕子先生の説では、棒状のもの (刀剣、杖、槍、飾りを付けた棒等も含む) などはみな自然界の蛇神の表象であるされ、箒(ほうき)ほ本来「蛇木(はばき)」だということです。

私がはじめて手にした採物は箒でした。増益乃舞でまた手にすることになりそうです。