基本稽古の積み重ね の日々

新型コロナウイルスCOVID-19(coronavirus disease 2019)流行対策のため、外出を自粛し自宅で稽古をしておりました。春夏の舞台がすべて吹き飛んだので、基本の動きの稽古の積み重ねをしておりました。派手な動き・アクロバティックな動きは、わかりやすいのでウケはいいのですが、一発で飽きられてしまいます。動画投稿サイトの充実によって、世界中のパフォーマーのパフォーマンスが簡単に視聴できるようになった現在、人間離れした動きに希少価値はほぼありません。実際、緊急事態宣言が出るとともにパフォーマー需要が壊滅してしまいました。現実世界がドラマティックに展開している現在、演劇などの虚構世界に目を向ける人は少なくなっていると思います。

私の舞は元々から需要がないため、コロナウイルス禍の影響はほぼありませんでした(笑)。今後も、極々一部のコア・レアな支援者のためにだけ舞っていきます。何てことないちょっとした動きのすべてを舞とできるように、舞うように日常生活動作を積み重ねていきたいと思います、

 

 

新型コロナウイルス流行鎮静化祈願成就!

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舞瀬


私たち日本国における新型コロナウイルスCOVID-19流行が、いったん鎮静化いたしました。尾身茂先生の御指導の元、挙国一致して日本国民が動いた結果だと思います。諸外国から見ると、「どうして日本は死者が少ないの?」と理解不能なようですが、日本の医療と医療従事者の力と、国に従う国民の力が生み出したミラクルです。もちろん、全国の社寺にて捧げられた祈りの力も、鎮静化に貢献しております。

日本には古来より禍神(曲がった神・枉津日神)を正しく直そうとする直日神(なおひのかみ)が鎮まります。邪神と正神と考えてもいいかもしれません。これは現実の一般社会も同様で、曲がった人もいれば、それを直そうとする人もいます。デマ(曲がった考え)が飛び交う中、正しい対処法で闇を切り裂いていく厚生労働省が頼もしかったです。

ルカ23:33〜34より

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」

……という言葉があります。

 

デマを流して不安を煽る人たちや買い占めをする人たちを見て、「彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」という言葉がリフレインしていました。

 

達人の舞を観ていると、「動かない力」を感じます。「動いてはいけないときには動かない」という力です。今回、違う形で達人たちの「動かない力」を目撃できました。能や歌舞伎などの伝統芸能系の方々は、慌てず騒がず静かに動画配信などをされてありました。ホンモノはすごいなと、感心する日々でした。

 

私たちも、様々なかたちで新型コロナウイルス流行鎮静化祈願をしてまいりました。7月末までかかると思われた第一波鎮静が、6月を待たずに成就したことを嬉しく思います。第二波に襲われないよう、引き続き厚生労働省の指導に従っていきたいと思います。

創作舞活動も、秋までお休みとなります。秋までじっくりと技を磨こうと思います。

流浪・漂泊・遍歴の遊芸民~芸能の原点は、舞い、歌い、踊ることにより、神々の世界と交流し、「狂う」ことです。

その昔、民衆を楽しませた「芸能」の本質には『流浪性・漂泊性』がありました。かつての民俗社会では、正月や節分などに芸能者が各家を訪れ、祈祷をし、おめでたい言葉を唱える行事が行なわれていました。日本の民間芸能・民間信仰は漂泊民抜きには語れません。

漂泊民と定住民との分化があらわれてくるのは、農業の開始以後です。14世紀ごろまでは、その区別は必ずしも明確でなく、漂泊民と定住民の関係は流動的でした。漁労民と海民、狩猟・採集民と山民、さらに芸能民、呪術者、宗教者、商工民等が、山野河海で活動し、道を通り、市で交易活動を展開する限りにおいて、彼らは漂泊民、遍歴民として姿を現しましたが、その根拠地においては若干の農業に携わる場合が多かったようです。釣糸を垂れ、網を引く海人(あま)や斧を持つ山人、遊行女婦(うかれめ)や乞食人、山林に入り、道路を遊行する聖(ひじり)、さらに時代を下れば廻船人、塩売・薬売から鋳物師(いもじ)にいたる商工民、馬借・車借などの交通業者、遊女・傀儡(くぐつ)等の芸能民などは、みなそうした人々でした。

まれびと より抜粋

折口信夫さまは、「まれびと(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する」としました。外部からの来訪者(まれびと=異人)に宿や食事を提供して歓待する風習は、各地で普遍的に見られました。この風習の根底には異人を異界からの神とする「まれびと信仰」があったと考えられています。1929年(昭和4年)、折口信夫さまは「客人」を「まれびと」と訓じて、本来は「神」と同義語であり、その神は常世の国から来訪することなどを現存する民間伝承や記紀の記述から推定しました。常世(とこよ)は死霊の住み賜う国であり、人々を悪霊から護ってくれる祖先が住むと考えられていました。村民たちは、毎年定期的に常世から祖霊がやってきて、人々を祝福してくれるという信仰を持っていました。その来臨が稀(まれ)であったので「まれびと」と呼ばれるようになったとされます。

万葉集』東歌や『常陸国風土記』に、祭の夜、外部からやってくる神に扮するのは、仮面をつけた村の若者か旅人であったことが記されています。時代が進むと、「ほかいびと(乞食)」や流しの芸能者までが「まれびと」として扱われるようになり、それに対して神様並の歓待がなされたことから、遊行者の存在を可能にし、貴種流離譚(尊貴な血筋の人が漂泊の旅に出て、辛苦を乗り越え試練に打ち克つという説話類型)を生む信仰母胎となったそうです。来訪神のまれびとは神を迎える祭などの際に、立てられた柱状の物体(髯籠・山車など)の依り代に降臨するとされました。

抜粋ここまで

芸能の原点は、舞い、歌い、踊ることにより、「神霊・精霊の世界と交流する=狂う」ことです。「狂う」とは、精神が普通ではなくなることを意味します。忘我の境地に至り、非日常の世界に入るのが、本来の芸能なのだと思います。芸能の本質は、祈り感謝することにあるような気がします。トランス(恍惚)状態にはいり、人格を放棄して神霊・精霊と交われる能力者はシャーマンと呼ばれていました。現代では、祈りは祭祀に、感謝は祭礼という形式として残っています。そして、権力に抱えられた芸能は洗練されていき、権力者に抱えられることなく庶民生活に密着した土俗的芸能は根源的なスタイルを保ってきました。

観阿弥世阿弥は賤民出身であり、各地を転々としながら活動しました。風姿花伝に、「神や仏に捧げるものでありながら、大衆的な娯楽としても人々を楽しませなければならない」という苦悩が綴られています。乞食所行であり、各地をさすらう一生でした。「河原者」「河原乞食」だったのです。

その後、神とは無縁な形で、芸能を娯楽(エンターテイメント)として演じ、木戸銭といわれる入場料さえ払えば誰でも入れる芝居小屋という興行形態をとるようになっていきます。一方で、大道芸や見せ物芸などの芸能は、道端(ストリート)やお祭りなどで演じられてました。各地を転々としながら暮らす遊芸民たちは、その日暮らしの漂白民だったのです。

私の立ち位置は「庶民生活に密着した土俗的芸能」です。一応いまのところ定住生活をしていますが、流浪・漂泊・遍歴の遊芸民の気質は健在です。贔屓の方々に呼ばれて各地を転々とするのが性に合っています。舞い狂う能力は生来のものなので、死ぬまで続けることができそうです。外出自粛で、いろいろ見つめ直すことができました。今後の活動につなげていきたいと思います。

舞う人は神となってその場を浄化することができるのであり、それ自体がひとつの呪術として認識されていた。

「呪術の本」学研 87-88Pより

呪術者としての漂白芸能者

◎踊りで場を浄化する「歩き巫女」

歩き巫女は、『日本書紀』において天照大神鎮座すべき地を求めて大和から伊勢へとさすらった倭姫命垂仁天皇の皇女)を祖とするとされる。

しかし、実際には歩き巫女も流浪の芸能者であり、やはり神楽や祭文などを唱えて家ごとに祈禱して歩く存在だった。彼女たちは、ときとして売春なども行っていたようである。

歌舞伎の淵源として有名な出雲阿国念仏踊りも、一種の鎮魂技術としての意味合いが含まれていることは、念仏という題材を見ても明らかである。

元来、「踊る」という行為そのものが、古代では宗教的行為であり、神霊を讃え、あるいは霊を呼ぶものであった。時宗の祖、遊行聖・一遍の「踊り念仏」は、最もそれを端的に示している。

一遍は踊り念仏の創始者ではないが、阿弥陀仏の慈悲にふれたとき、歓喜雀躍として手の舞い足の踏むところを知らなかったのがその始まりとされる。踊り念仏は鎌倉時代、一遍の行く先々で強烈なファナティシズム的陶酔をもって人々に舞われ、ときには失神者も続出したという。

「舞う人」も「歌う人」と同じく、やはり一種の神であった。つまり、歌い舞う人は神となってその場を浄化することができるのであり、それ自体がひとつの呪術として認識されていたと考えてよい。

引用ここまで

 

古代、舞人は『福神』と見なされていました。舞は福を呼びこむ『吉兆的呪法』として舞われました。きわめて身分の低い人数ならぬ身が神として扱われました。現代においても、各地を転々と巡業するストリートパフォーマーは『ネ申』として崇められますし、パフォーマーも観客も自覚はありませんが、福を呼びこむ吉兆的呪法を納めていました。興行としての大相撲も同様でした。

新型コロナ禍は、「人を集めてはならない」という制約をもたらしました。「人」を相手に舞うという様式が否定されることになりました。神を相手に舞う『神人共舞』という本来の様式に強制的に引き戻されることになりました。

「礼和」の「令」を分解すると、「人+一」で「大勢の人や多くの物を集める」という意味となり、「卩」は、集まった人々がひざまずいて頭を垂れている意味となります。神によって与えられた権威と、そうした神聖なる権威の前に大勢の人々が自らひざまずいて、神の言葉に敬虔に聞き従うということになります。「美しさ」「凛々しさ」「立派な」「優れた」の意味も生まれます。

新型コロナ禍により、「大勢の人や多くの物を集める」とは真逆の方向に振れているように見えます。凶兆的呪法をかけられているような状況に見えます。

ここで、安倍首相の談話を思い出してみましょう

「新しい元号は令和であります。これは万葉集にある『初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す』との文言から引用したものであります。

そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。

文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。元号の決定にあたり、その決意を新たにしております」

談話ここまで

いま思えば、現在のこの状況になることは規定事項だったのかもしれません。

『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という祝い詞は、『人々がきたなく心を寄せ合わなければ、文化は死ぬ』という呪い詞でもあります。新型コロナ禍は、美しく心を寄せ合う人たちときたなく心を寄せ合わない人たちとの分断化を強烈に押し進めているように感じます。『令和』という言葉の呪力が如何なるものなのかを、この目で見届けていくことにしました。

そして、いまこのときにこそ、その場を浄化することができる舞とは何なのかについて、一から見直していきたいと思います。

基本・基礎練習を積み重ねる時期

新型コロナウイルスCOVID-19流行対策で、完全休業して自宅に引きこもって基本・基礎練習の積み重ねをしております。じたばたすることなく腰を据えて細かな身体の使い方を見直す時期だと感じております。

手の指先・足の趾先から脊椎の一個一個まできちんと意識して動かせるように、感覚を研ぎ澄ませていこうと思います。

4月4日(土)吉川八幡神社春大祭にて疫病鎮静之舞を奉納させていただきました。

2020年4月4日(土)吉川八幡神社春大祭にて疫病鎮静祈願之舞を納めてまいりました。新型コロナウイルスCOVID-19(coronavirus disease 2019)対策のため、関係者のみでの斎庭祭祀の後、古代呪術における疫病鎮めの作法を舞にうつして奉納させていただきました。

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吉川八幡神社春大祭 疫病鎮静神事2020 

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吉川八幡神社春大祭 疫病鎮静神事2020 

 

宮司さまの祝詞奏上とともに爽やかな風が吹いて木の葉が舞い、舞人の比礼之舞とともに無風となったりという数々の奇跡の連続の中、全国各地で一緒に疫病鎮静の祈りを捧げてくれた方々の思いを受け取るとともに、「このときのために、これまで生きてきたのかもしれないな」という大げさなことを感じておりました。

現代社会において、私のやっていることは迷信でしかありません。しかし、肉眼でとらえることができないCOVID-19を相手にした場合、医療的防護や対策をしただけでは、不安を拭い去ることは難しいと思います。免疫機能を最大限発揮するためには「安心感」が大切な要素になると思います。しかし、COVID-19は、宗教的集会を狙い撃ちにしており、「祈りなど通用しないわ!」という現実を突きつけられているようにも感じます。

私は、COVID-19そのものをなくすのではなく、対抗するためのさまざまな対策が早期に確立できることが大切だと考えております。北辰北斗信仰の地である妙見にて、北斗の象徴である柄杓(ひしゃく)を振り、北極星(現在はポラリス)の象徴である珠玉(たま)を捧げつつ、COVID-19流行の早期収束を祈願しました。今後は、経済面でも問題が増えてくると思います。今後は、経済再生の舞も納めていきたいと考えております。