舞う人は神となってその場を浄化することができるのであり、それ自体がひとつの呪術として認識されていた。

「呪術の本」学研 87-88Pより

呪術者としての漂白芸能者

◎踊りで場を浄化する「歩き巫女」

歩き巫女は、『日本書紀』において天照大神鎮座すべき地を求めて大和から伊勢へとさすらった倭姫命垂仁天皇の皇女)を祖とするとされる。

しかし、実際には歩き巫女も流浪の芸能者であり、やはり神楽や祭文などを唱えて家ごとに祈禱して歩く存在だった。彼女たちは、ときとして売春なども行っていたようである。

歌舞伎の淵源として有名な出雲阿国念仏踊りも、一種の鎮魂技術としての意味合いが含まれていることは、念仏という題材を見ても明らかである。

元来、「踊る」という行為そのものが、古代では宗教的行為であり、神霊を讃え、あるいは霊を呼ぶものであった。時宗の祖、遊行聖・一遍の「踊り念仏」は、最もそれを端的に示している。

一遍は踊り念仏の創始者ではないが、阿弥陀仏の慈悲にふれたとき、歓喜雀躍として手の舞い足の踏むところを知らなかったのがその始まりとされる。踊り念仏は鎌倉時代、一遍の行く先々で強烈なファナティシズム的陶酔をもって人々に舞われ、ときには失神者も続出したという。

「舞う人」も「歌う人」と同じく、やはり一種の神であった。つまり、歌い舞う人は神となってその場を浄化することができるのであり、それ自体がひとつの呪術として認識されていたと考えてよい。

引用ここまで

 

古代、舞人は『福神』と見なされていました。舞は福を呼びこむ『吉兆的呪法』として舞われました。きわめて身分の低い人数ならぬ身が神として扱われました。現代においても、各地を転々と巡業するストリートパフォーマーは『ネ申』として崇められますし、パフォーマーも観客も自覚はありませんが、福を呼びこむ吉兆的呪法を納めていました。興行としての大相撲も同様でした。

新型コロナ禍は、「人を集めてはならない」という制約をもたらしました。「人」を相手に舞うという様式が否定されることになりました。神を相手に舞う『神人共舞』という本来の様式に強制的に引き戻されることになりました。

「礼和」の「令」を分解すると、「人+一」で「大勢の人や多くの物を集める」という意味となり、「卩」は、集まった人々がひざまずいて頭を垂れている意味となります。神によって与えられた権威と、そうした神聖なる権威の前に大勢の人々が自らひざまずいて、神の言葉に敬虔に聞き従うということになります。「美しさ」「凛々しさ」「立派な」「優れた」の意味も生まれます。

新型コロナ禍により、「大勢の人や多くの物を集める」とは真逆の方向に振れているように見えます。凶兆的呪法をかけられているような状況に見えます。

ここで、安倍首相の談話を思い出してみましょう

「新しい元号は令和であります。これは万葉集にある『初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す』との文言から引用したものであります。

そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、令和に決定致しました。

文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。元号の決定にあたり、その決意を新たにしております」

談話ここまで

いま思えば、現在のこの状況になることは規定事項だったのかもしれません。

『人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ』という祝い詞は、『人々がきたなく心を寄せ合わなければ、文化は死ぬ』という呪い詞でもあります。新型コロナ禍は、美しく心を寄せ合う人たちときたなく心を寄せ合わない人たちとの分断化を強烈に押し進めているように感じます。『令和』という言葉の呪力が如何なるものなのかを、この目で見届けていくことにしました。

そして、いまこのときにこそ、その場を浄化することができる舞とは何なのかについて、一から見直していきたいと思います。