【瓊々杵尊上陸地の碑文】
天孫瓊々杵尊は天照大神の命を受け豊葦原の瑞穂の国を治めるため高天原から九州は日向の高千穂の峰に降臨された。 その頃一帯は不毛の荒野であったため尊の一行は肥沃の地を求めて日南海岸を舟で南下し薩摩半島を西に廻って「笠狭碕」の沖に辿りつかれた。そしてここ黒瀬海岸に上陸してみるとそこに塩土爺が現れ尊をお迎えし自分の家に伴い塩俵の上に獣皮を敷き山海の珍味を御馳走して歓待されたという。
かくして尊が舟をつけられたところを「打寄瀬」、無事上陸されて歓喜雀躍されたところを「舞瀬」といい、神々が渡り通られたところを「神渡」、岸に立って故郷の近江の空を仰がれたところを「立瀬」といっていづれも今に地名として残っている。
やがて尊はこの地で出会った木花咲耶姫を妃とされ笠沙の地に宮居を定められたのである。
昭和五十九年三月 笠沙町
【欣喜雀躍(きんきじゃくやく)】
小躍りして喜ぶこと。うれしくてたまらないようす。「欣喜」は、たいへんに喜ぶこと。「雀躍」は、雀(すずめ)のように小躍りするさま。
イチローさんの記事に、「この荒波の中を無事に陸にたどり着いた事をみんなでたいそう喜んでいましたが、ニニギはその近くにあった大岩に登り、何やら見たことのない舞を舞われ始めました。どうやらこの大海を乗り越えて無事に上陸出来た事を心から喜んでいる祝いの舞のようです」と、あります。
袖振りの所作がなければ、鳥面鳥装の呪寿は発動しない。袖振りは神さまの霊威を受け、内在する霊威の蘇生復活の呪寿所作。
— 安部吉孝@大蛇之舞人・身体操作指導者 (@yocchan19681) January 27, 2020
人は、仮面、装束、採物を身に纏い持つことにより、日常性から非日常性の存在に転移していく。
……千家和比古「鳥面鳥装小考」より抜粋。
「雀躍」という言葉を見た瞬間、「袖振り」の話を思い出しました。
舞い装束については、イチローさんの記事に「これまで見たことのない、白い上下の服を着て、髪の毛を横に結ったりりしい高貴な方の姿がありました」とあります。
私には、佐原の印象が強かったりします。
これから話が進んでいくかと思いますが、地元の伝説をできるだけ再現できたらと考えています。