9月24日(日)日田市の大原八幡宮さまの神楽殿にて、現代御神楽を納めさせていただけることになりました。
大原八幡宮の宮司さまに、大原八幡宮 仲秋祭(放生会)「海幸彦之舞」を納めたいとお伺いしたところ、快諾していただけました。海幸彦は古代隼人の祖です。
放生会は魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒めるとともに、五穀豊穣を祈念する儀式です。発祥は、古代九州南部に住んでいた隼人(はやと)の祟りを鎮めるためと考えられています。隼人は九州南部の大隅や日向にいた民族で、この隼人が反乱を起こし、大隅の国司である陽侯史麻呂を殺したことに端を発し、奈良朝廷が、大伴旅人を将軍として軍を率い、隼人を攻めたけれども、隼人を鎮圧することはできなかったそうです。
奈良朝廷は宇佐八幡に「隼人を鎮圧してください」と祈願し、それを受けて八幡は、豊前の国司「うぬのおひと」、八幡宮から派遣された「すぐりはずめ」、僧侶「法蓮」率いる神軍を派遣します。中津市の薦神社にある三角池の薦枕を御神体とし、大隈へ隼人の征討に赴いて勝利をおさめました。
隼人らの首は宇佐に持ち帰られ、松隈という場所に埋められたとされます。現在は凶首塚古墳として残っており、近くに百体神社を造り、隼人の霊を慰めたとされます。
それでも、その後農作物に貝虫がつき、凶作がつづいたそうです。朝敵でも神が人を殺したことはよくないと、1年に1度、ニナガイを海に放して隼人の霊を慰めるようになったそうです。
これが放生会の起こりとされています。
隼人の反乱がおき、その鎮定に八幡神が寄与したことが契機となったと伝えられ、戦いにおいて多くの「殺生」がおこなわれたので、八万神は応報として生きものを放つこと、つまり「放生」をおこなうことを神託したとされます。隼人鎮定ののちに悪気がただよい病気がはびこったので、隼人の霊を鎮めるために始まったとも伝わっています。
神楽殿に双龍の額がかかっており、双龍之舞と感応してくれたら嬉しいなとイメージしております。
他の演目は、来週の火曜日には御案内できるかと思います。