音楽無しでの動きでも、観客を魅了することができる。

 音楽なしの動きで観客を魅了できる例のひとつに空手の型があります。

 というよりは、音がないからこそ、魅了されると言ってもいいかもしれません。

  気合の入っていない冗長(無駄)な動きは、観客を魅了するどころか、退屈させてしまうことになります。動きの流れは同じであったとしても、姿勢・呼吸・動きのすべてが違います。そもそもの場の空気感が違うのです。文字通り「振る舞う(それらしく、そう見えるように動く)」なのです。

 空手の場合は、仮想敵をイメージして型を演じます。能の場合は、何かをイメージして舞います。この世に存在しない(目に見えない)何かをイメージして本気で動くので、発汗し呼吸も荒くなります。明確なイメージができずに、ただ虚ろに動いているだけの人の動きが観客を魅了することはありません。

 仮想しながらの気が遠くなるような繰り返し稽古。やってますアピールなど混じりようの無い真剣な修練。そういった積み重ねの果てに、音がない方がはるかに魅力的な動きが生まれてきます。そもそも、ろくに練習もせずに観客の前に立つという礼を欠いたことをしているようでは、演ずる前にもう終わってしまっています。

 「もっと観たい。いや、このままずっと観ていたい」と歓喜してもらわないといけないのに、「つまんないから早く終わってくれないかな」とイライラさせてしまう。観客が帰ってしまう。それは、自分がやってきた愚行が引き起こした無残な結果でしかありません。付け焼刃など通用しないということを考えもしなかった末のことなのです。

 何かのせいにしている時点でダメなのです。すべては自らの浅慮(思慮が浅いこと。浅はかな考え。)が招いたことです。

 観てもらえるということはとても希少なことです。その機会を棒に振ってしまえば、その先には何もないと思います。日々の稽古を怠ることなく積み重ねるのは最低限。それに何を乗っけていくかを真剣に考えなければならないと思います。