自分が優れていると思い込んで、他の人を軽く見てしまったことによって受けるダメージは、なかなか回復しません。

 

■自慢は知恵の行き止まり

人間は自慢をするようになると、高慢になるばかりで進歩向上はしなくなる。また、人から嫌われてそれ以上の展開もできなくなる。

 

 高慢さは芸の行き止まりとも言われています。ある程度以上に稽古を積み修業を重ねていると、他者に観ていただける芸になりますが、それは上達の過程でしかありません。いまだ自分の芸の未熟を思い知り、死ぬまで辿り着けない芸の高みを生涯目指さねばなりません。高慢な人にそれはできません。自信に満ちた人には、それができるかもしれません。 

 自分のそばに褒めてくれる人やイエスマンしかいないと進歩上達はありません。真の贔屓(ひいき)は、諫言苦言を与えてくれます。素質は磨いてこそ輝くものであり、苦労して稽古と修業に励まなければ開花することはありません。小手先の器用さでは本物は生まれないのです。

 自分が優れていると思い込んで、他の人を軽く見てしまう人は、 知恵が足りないとされています。高慢になると他の人の考え方や意見などを受け入れないため、自由な発想ができなくなるからです。自慢をしたがる人は自分に自信がもてなくて、他人に認めてほしい、褒めてほしいという欲求が強いそうです。他人が自分を評価してくれないという不満をもっていたりもするようです。

 実際に舞台に立つと、否が応でも観客の反応がすべてとなります。自分に華があるかどうか、花を咲かせる(優れた芸を披露できる)かどうかが、その場でわかります。舞台の外で自慢話ばかりしていた人が舞台に立つと、観客は白けます。稽古を積み重ねていないことが、その佇まいですぐにわかるからです。そして、舞台は台無しとなります。

 自分が優れていると思い込んで、他の人を軽く見てしまったことによって受けるダメージは、なかなか回復しません。先ほどの記事にも書きましたが、再起は非常に厳しくなってしまいます。高慢になった代償は高くつくので、自分が優れているなどと勘違いしないように気をつける必要があります。そもそも、勘違いできるほど優れてはいないわけですから当然だと思います。

 6世紀後半にグレゴリウス1世が、「高慢」をすべての悪の根として別格扱いとしました。自分のことを優れていると思い上がって、おごりたかぶり、他を見下すことから、さまざまなことがうまくいかなくなっていくのだと思います。

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7つの大罪

■謙虚

自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。 

 謙虚な姿勢で接してくれる人は好かれやすく信頼が得やすくなります。他者の意見を素直に受け止め取り入れることができ、人間関係が円滑になりやすいのです。関わった人から学ぶことができるので大きく成長していけます。さらに、関わった人から手助けをしてもらえやすくなりますので、展開もスムーズです。

 その場の空気を読み、自分が主張すべき局面とそうでない局面をきちんと把握して、相手の話を聞く側に徹したり、発言できる場であえて回答を他人に譲るなどの配慮を、人知れずしています。

 

 こうして、高慢な人は機会を失い、謙虚な人は機会を得ていきます。