好きなこと(ほんとにやりたいこと)であれば、やり遂げやすい。褒められたいだけだと、やり遂げにくい。

 何ごともそうだと思いますが、いまやっていることが好きなこと(ほんとにやりたいこと)であれば、やり遂げやすいと思います。ほとんどの場合、やり遂げることができます。これに対して、実力以上に評価されたい=褒められたいという動機で動いているとしたら、ほんとうの意味での「やる気=モチベーション」は、あがりません。

 好きだからやっていることというのは、他者からの評価をまったく期待することがありません。誰からも注目されていなくても、まったく気になりません。集中力が発揮されるため、結果として良い作品ができあがります。そして、その作品を誇示しようとはしません。しかし、とても高い評価を受けることになります。

 褒められたい(賞賛されたい)という動機は自己栄光化願望に過ぎないため、褒めてもらえないと頑張れません。褒められたいがために、できた作品を誇示します。しかし、良い作品ではないため、とても低い評価しか受けることができません。褒められるどころか酷評されるため、次の作品をつくる意欲がわきません。

 好きでやっている人の作品は、順調に出番を増やしていきます。

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 自分が属する共同体のために貢献するのが好きな人は、良い作品づくりのお手伝いができます。好きで作品をつくっている人のまわりに、それを手伝うのが好きな人たちが集まってくるのが理想的な展開だと思います。誰ひとり自分を中心にすえて考えず、自分にできる最善の行為を選択するため、良い空間ができていきます。

 

子供はどうしてナルシシズムを消化して成長していくのか。加藤諦三より 

 親は毎日子供を皮膚感覚で見ていなければ子供のナルシシズムを満足させることはできない。そしてただ真剣に褒めればいいというのではない。何を褒めるかを間違ってはいけない。

 子供が何かを達成したときに褒めることが大切である。アメリカのABC放送を見ていたときである。小さな子供が一生懸命靴紐を結ぼうとしている。なかなかうまく結べない。そしてやっとうまく結べた。そのときの子供の嬉しそうな笑顔。まさに達成の喜びを表わしていた。もし親がそのそばにいたら、こういうときこそ褒めることが大切である。達成の喜びと褒められることの喜びが一緒になって子供はもっと前向きの意欲を沸かすだろう。

 犬は自分の子供をなめる。子供は気持ちがいい。安らぐ。赤子は肌のふれあいから自分以外の世界を知る。この世界は自分一人では感じられないことを赤子は感じる。

 嬉しい、楽しい、悲しい、怒り、それも人と一緒にいるから。人は一人では成長しない。赤子が外界を知るのは感覚から。今の親は皮膚感覚で子供を育てることを忘れている。

引用ここまで

 

 ほんとに好きなことをやろうとする人は、ナルシシズムを満足させているのだと思います。ナルシシズムが満たされていないと、褒められるために何かを達成するという本末転倒な行動をとってしまうがちだと思います。関心は自分のイメージだけという人は、褒められたいという念がこもった重く暗い作品をつくってしまうため、好きでつくられた明るい作品と並んだとき、誰からも見てもらえないということになりがちです。

 闇堕ちとは、光属性を持っていた筈が様々な要因でそれを失い、闇属性になってしまう事を指します。善悪や美醜といった二元論的な価値観において、それまでは真善美に価値を見出して志向していたのに、ある契機を境に醜悪な要素を志向するようになります。気がつかないうちに堕ちてしまいがちですが、堕ちてしまえばもう「修理固成 ・ 光華明彩」な作品をつくることはできないと思います。

 

『破(わ)れ鍋(なべ)に綴(と)じ蓋(ぶた)』

 破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。
「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と書くのは誤り。「綴じる」は縫い合わせるの意で、「綴じ蓋」は修繕した蓋のこと。

出典 小学館デジタル大辞泉

 

 闇堕ちしてしまうと、それ相応の闇落ちした似通った人たちとしかつながらなくなりがちです。自分の行動の動機を、常に見つめ続けておくことが大切だと思います。