蛇行剣を採物として舞います。

■川内川
 熊本県球磨(くま)郡が源流。宮崎県えびの市をめぐり鹿児島県に。薩摩川内市の中央部付近を貫流し、東シナ海へ流れています。

 薩摩川内市上川内近くの横岡古墳七号墓から蛇行剣(だこうけん)が出土。剣身(全長56.6cm)が2ケ所でS字状に曲げられ、全体に細身で、切っ先は鋭くなっています。剣身が蛇のようにうねって曲がっている形状をしているため蛇行剣と名付けられました(後藤守一によって、「蛇行曲身剣」と名付けられたことから。伊藤雅文中部地方出土の蛇行剣』より)。その姿は蛇が這って進んでいるようです。1990年代には、隼人と関連する呪術的な剣だと考えられていました。

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蛇行剣

2001年1月14日(日)   山陰中央新報文化欄より

■曲がった刃の「蛇行剣」・葬られた隼人守る
 実用にはほど遠いくねくねと曲がった刃。その様子からついた名は「蛇行剣(だこうけん)」。栃木県小山市の桑57号墳 で出土した奇妙な剣だ。宮崎、鹿児島などを中心に、これまで全国約50カ所で出土、小山市の例が北限だ。5世紀から6 世紀にかけて、南九州の地下式横穴墓から見つかるケースが多い。古代でもやはり目を引いたのか「播磨国風土記」では、 土から出てきた刀を鍛えたところ、蛇のように曲がったため驚き、朝廷に献上した、とある。 上村俊雄・鹿児島国際大教授(考古学)は「地下式横穴墓に葬られたとされる隼人(はやと)の剣だ。数が非常に少ないので、 リーダー格の人物の持ち物か。邪悪なものから被葬者を守る『辟邪(へきじゃ)』として副葬した」とみる。 隼人は、もともと日向・大隅地方など南九州に居住していた人々。南九州から畿内に連れて来られた隼人は、政府の建物の 守衛や「隼人舞」と呼んだ歌舞を奏するなどの職務に当たったとされる。置田雅昭・天理大教授(考古学)は「大和朝廷に軍事 集団として組み込まれていた隼人が戦いの前の儀式の模擬戦で使った刀では」と推測する。インドやインドネシアにも士族の 儀式用として蛇に似た形状の刀「クリス」が伝わっている。古来、竜は蛇と同じという見方があり、「蛇行剣の出土地は、 全国でも竜蛇信仰の顕著な地域」と指摘する民俗学者も。台湾では蛇は先祖の象徴といい、ひょっとしたら日本でも先祖が 墓を守ってくれると蛇行剣を副葬したのだろうか。引用ここまで

伊藤雅文中部地方出土の蛇行剣』より。
 「蛇行剣は利器としての性格よりも呪術的役割を目的として鍛造され、一群の司祭的立場にあった人物のもと保管されていた」と解釈する。田中茂研究。

 

剣を武器として効率的に機能させるのなら、真っ直ぐな刃がいいはずです。古代人が剣を蛇行形にしたのは、剣の祭器としての呪術性に期待したのではないでしょうか? 水を司り雲雨を自在に支配する力をもつ龍蛇につながる呪具としての機能を期待したのではないかと思われます。

7月17・18日(土・日)の笠沙・川辺での舞は、蛇行剣を採物といたします。

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蛇行剣