『隼人族の抵抗と服従』より引用いたします。
【ハヤトの語源】(2P)
①猛禽類(もうきんるい)の隼(はやぶさ)のイメージから出たという説。
隼人は絶(すぐ)れて敏捷(はや)く猛勇(たけ)るが故に此ノ名あるなり
『和名抄』に隼人司=波夜比止乃豆加佐とあり隼人は「ハヤヒト」と訓(よ)むべきだと宣長はする。
早人(はやひと)の名に負う夜いちじろく……『万葉集』
③地名「波邪(はや)」より起こるとする説
「邪古(やく)・波邪(はや)・多尼(たね)ノ三小国有り」『新唐書・倭国伝』
④ハヤテ(疾風)の意
⑤囃人(はやしひと)の説
隼人の風俗歌舞「隼人舞」。隼人における「囃(はや)し」人から名付けられた。
■海幸彦山幸彦神話の背景(3P)
兄の海幸彦が「隼人族の祖先」と書かれている。
生ます時に方りて、其の殿に火を着けて産みましき。故其の火盛りに、燃ゆる時に産まれませる子 名は火照命 此は隼人阿多君の祖 『古事記』
今より以往吾が子孫の八十連属 互にまさに汝の俳人たらん。「一に云く狗人」(中略)是に兄 弟の神徳いますと知りて、遂に以て其の弟に伏事ふ。是を以て火酢芹命(ほのすそりのみこと)の苗裔、諸の隼人等、今に至るまで天皇の宮の傍を離れず吠狗に代りて奉事るい者なり。 『日本書紀』
『曾の隼人 霧島郷土史研究会』より引用いたします
■隼人の実像(42P)
ハヤト(隼人)という言葉:ハヤトの名義については諸説あり、未だ定説といわれるものはない。しかし主なものをとりあげると次のような説がある。
まず本居宣長は、『古事記伝』の中で「隼人は波夜毘登(ハヤヒト)と訓(よむ)べし、(中略)隼人(はやびと)と云者は、今の大隅薩摩二国の人にて、其国人は、絶(スグ)れて敏捷く(スバヤク)猛勇(タケ)きが故に、此名あるなり、(下略)」と述べている。
またハヤトという言葉は、記紀の冒頭の神話、いわゆる海幸・山幸の物語に出てくる。この神話はハヤトが大和王権に服属したとする内容から、七世紀後期以降に定着したものであろう。
一方この説に対し、近年異説も出ている。ハヤは、マリアナ語で「南」をさすので、ハヤヒトのハヤはこれに由来するという説がある。
またハヤシビトから来たという説もある。「囃し人」の意であり、ハヤトの歌舞の囃しと関連づけるものである。
「ハヤブサ」という鳥が、他の鳥を捕らえるその早さから、「ハヤト」という名前の由来を推測する学者もいる。
ハヤトは、ハヤヒトともよばれ、『日本書紀』神代下に火酢芹命(ホスセリノミコト)海幸が弟の山幸に敗れて服罪した際に、「自ら狗人と称した」とあり、火酢芹命がハヤトの祖とされている。
■なぜ「蝦夷」「隼人」と名付けたのか(58P)
古代中国において、自民族を最高の民族として国の内外に示すことは、漢民族の繁栄はもちろんのこと、天子を頂点とする中央集権政治のためには欠くことができないことだった。無条件で隷属する国や民族が多いほど、その中心はより強力な権力者として輝いていた。
蝦夷は『えびす』の意味を持ち、都から遠く離れた未開の地の人を指す蔑称である。また隼人というのは、『隼の人』と書くことから誤解されやすいが、古代中国では鳥の中で最も強靭で荒々しく、狡賢(ずるがしこ)い鳥として蔑まれていた。明治維新後は『薩摩隼人』としてもてはやされるようになったが、本来の意味を失ったものである。
■日向神話はなぜ書かれたか?
隼人の祖先である兄の海幸彦は天皇家の祖先となる山幸彦に服属し、俳優(わざおぎ)として、あるいは狗吠(くはい)して天皇を災いから守る者として仕える。そして海幸彦はいまも、山幸彦を祀る鹿児島神宮の二の鳥居の入り口で、門守神(大隅命)として、山幸彦と鹿児島神宮を守り続けているのである。
記紀において海幸彦は「阿多隼人の祖」または「隼人等が始祖」とされている。
※引用ここまで