「舞」「踊り」「神楽」「採物」について

民俗小事典 神事と芸能 神田より子/俵木悟 361Pより

記紀には儛ともみえる。舞うは廻るを語源とするところから、折口信夫は舞を旋回運動であるとした。『古事記』の酒楽(さかほがい)の歌に酒を作るに際してその周りで歌い舞ったことがみえ、歌舞は酒にタマ(生命力)を斎き込める働き(生命酒)をする。『日本書紀允恭天皇条には新室(にいむろ)の宴で天皇に対して皇后が舞い、その後に「娘子(おみな)奉る」ことが当時の習慣であったと記される。舞うことも娘子を奉ることも等しく相手にタマを奉ることであった。

天皇即位の大嘗祭に悠紀・主基二国から国風の歌舞が天皇に貢進され、また被征服部族の隼人舞・久米舞・国栖舞などが大和朝廷儀礼に舞われたのは、そこに確認される支配関係が土地のあるいは部族のタマを奉献することにほかならなかったからである。

こうした古代の舞の観念に対して、中国渡来の舞楽は外来であるゆえにこのような舞の性格をもたず、平安貴族の舞うものとなる。タマの奉献を目的とする舞は神社のなかで神に奉納される巫女舞となり、また祭や宴席で参会者が一人ずつ舞う順の舞、門付けに舞う権現舞・獅子舞・大黒舞などへとさまざまな展開をみせる。

一方、巫女舞は民間のシャーマニズムのなかで神を巫女の身体に憑りつかせて託宣を得て神がかる巫女舞となる。ただし神がかりにおける舞は神が憑いて託宣する状態を獲得する手段で、近世の国学者本居内遠が舞について「態(わざ)を模し意を用ふる」と指摘するのは、このような舞の意識的な性格をさしてのことである。神が憑依すれば意識を失った神がかり、つまり狂いとなる。神がかる巫女舞は神がかからせる法者などと呼ばれる男性宗教者っを必要としたが、やがて村落祭祀が男性宗教者の手に移るとともに神がかりは芸能化され、神の出現は仮面の舞に具象化され、神を招来するための採物(とりもの)舞が用意される。仮面の舞は中世の能に通じ、舞に物真似あるいは演じるという舞の新たな舞の新たな性格をつけ加えることになる。

巫女舞をはじめとする神楽の舞には、憑依・奉納とともにもう一つ、死者あるいは悪霊を舞い浮かべて成仏あるいは退散させる機能があることが葬祭神楽などの事例で知られる。なお舞一般に通底する特徴を挙げれば、舞い手に特別な資格が求められること、多くは一人で周囲に囃されて舞い、舞台化すると貴族的なものとなることである。

361Pより

踊り

踏・躍とも書く。踊り上る、踊り懸かる、踊り狂う、踊り込む、踊り出る、踊り付く、踊り回るなど、踊りははねあがる、とびはねる動作を原義とするところから、折口信夫は踊りを跳躍運動、柳田国男は行動とした。

近世の国学者本居内遠は「踊は我を忘れて態の醜からむもしらず、興に発しておのづからなるが故に、却りては雅びて洒落なる方あり」と踊りの忘我性を指摘している。最近では踊り手がみずから囃して身体を動かすものとする説もある。踊りは舞台化され民俗の世界に多く存し、さらに様式が獲得される以前の状態にその本質が見いだされることが多い。

風流踊りにはその様式を成立させる前段階に祇園御霊会で御霊を退散させる囃子物があり、その痕跡は京都のやすらい祭に残る。生花を新しい趣向の力として飾りつけた風流傘を依代として厄神を誘い込み、シャグマを被った踊り子が鉦や鼓を鳴らして厄を封じ込める。

踊りとは楽器を奏し歌を歌って囃すことであり、はらい除かれるべき霊を排除するために移動することでもある。そうした踊りの本質はすでに院政時代の永長大田楽と呼ばれた京の田楽の狂躁にすでに萌している。華美な装いの風流、喧嘩といわれた鼓笛の喧騒、寺社や権門勢家に押しかける推参を特色とする田楽も、やがて様式が整えられて専業の芸能者の手に移って田楽躍になると秩序を揺るがすエネルギーを失い、近世初期の伊勢踊り、京の豊国社臨時祭の風流踊り、幕末のええじゃないかなど、時代の変革期に踊りのエネルギーが噴出するにとどまる。

風流踊りは雨乞い踊りともされ、旱魃に太鼓や鉦を鳴らして竜神の発動を促す。風流獅子舞・太鼓踊り・ザンザカ踊り・楽・臼太鼓・浮立などの名で呼ばれる。

290Pより

神楽

招魂・鎮魂の神祭に奏される芸能。神座を設けて神々を勧請し、その前で鎮魂・清め・祓いなどの祭祀を行なった。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説である。神楽は人間の生命力の強化と復活をはかるための祭祀であるが、死者の霊や祖霊を祀るためにも行われた。生者・死者いずれのためにしても神楽祭祀は、神を神座に迎えて祈禱や酒宴をした後、神送りするのが定式であった。

巫女神楽 

神に仕える巫女によって清めや神おろしや、さまざまな祈禱のために舞われる神楽。巫女舞ともいい、御子舞、神子舞、八乙女、内侍舞、命婦舞、市神楽、市舞などの名称がある。もとは巫女が神がかりして託宣を行う前に、鈴・扇・幣(みてぐら)・榊・笹などを持ち、清めの舞や神おろしの舞を舞った。舞は順めぐり・逆めぐりに回って周り返す旋回運動を基本とし、旋回を繰り返しながら神がかりの状態になる。

②採物神楽

神を勧請するための素面の採物舞と仮面をくっつけた神々や悪霊・鬼などが登場する仮面舞(一種の能)から構成される神楽。採物は舞うときに手に採るもので、本来は神座である。

340P

採物

神事において、神を招くために手に持つものをいう。平安時代に内侍所神楽と称され宮中で行われた神楽の中から、歌謡だけを抜き出して記録した「神楽歌」には、榊・幣・杖・篠(ささ)・弓・剣(つるぎ)・鉾(ほこ)・杓(ひさご)・葛(かづら)の九種が採物歌として納められている。この神楽歌は①採物(神おろし)②前張(さいばり=神遊び)③星(神あがり)という構成になっていて、このことから採物は神おろしあるいは神迎えの道具とされたと考えられる。

このうち幣は神に差し上げるものという意味で、実際には絹や木綿などの織物が多かった。また幣・榊・鉾は、まずこれを持って清めの舞を舞い、その後、この採物に神が宿る神座とされた。このうち鉾は両刃の剣に柄をつけたもので、単なる武器ではなく、神を招くために用いられたもので、『日本書紀』では天岩戸の神話で天鈿女命が持ったとある。杓は瓢とも書き、瓢箪やふくべのことで、二つに割って水を汲むために用いたりもするが、神霊の容器とする信仰は広く、『古事記』によれば小さな神少彦名は瓢箪から生まれたという。篠は巫女が手にして神がかりとなる道具で、能の狂い物『隅田川』や歌舞伎の『保名』でもこれを手にすることで手にすることで異常心理を表すという約束となっている。剣・弓は悪魔を祓う武器であり、そのうち弓は神霊を招き、悪鬼を退散させる採物で、巫女が口寄せのときに使う梓弓はその代表である。

採物と混同しやすい手草(たぐさ)は、折口信夫の「上世日本の文学」によれば、物忌の印として手にとるもので、採物は霊魂をゆり動かすことで、その霊魂を身に付ける道具へと用途を広げたものという。採物は神霊の降霊を願うもので、これを持つことで神が宿るとされ、神の依代としての機能をもつ。そこから神事に起源をもつとされる諸芸能において、主役を務めたり、指揮の役の者が手に携えるものを採物と呼んだ。

またそれを持つ者にも神の依代としての性格を付与する。一方これを手にして振ることで、神霊を発動させる祭具・呪物としての機能も同時に内包している。だから形の大小や性質により、霊魂あるいは神々を迎えるための依代としてか、または神霊の発動を期待する呪物かのどちらかが強くあらわれると考えられ、そこから神の正体も予測し得るものとなっている。

引用ここまで

 

基礎知識、大切だなと思います。