日本には古来から、力足を踏んで悪いものを踏み鎮める所作があった。

民俗小事典 神事と芸能 神田より子/俵木悟 

356-357Pより

反閇(へんばい)

邪気を払う呪術的足踏み。早川孝太郎が、愛知県北相楽地方の花祭(霜月神楽)における反閇に言及して以後、神楽など民俗芸能の足拍子にこれが見られるということで、民俗研究者間にも注目されてきた。元来陰陽道における呪法の一つであって、天皇や貴人の外出に際して邪気を払い、その安泰を祈っておこなわれる足踏みで、またこれを禹歩と称するとあるが、折口信夫によれば、禹歩とは中国から影響を受けた概念であるが、日本にも古来から、力足を踏んで悪いものを踏み鎮める所作があったという。

反閇の踏み方は、『貞丈雑記』の「反閇の事」によれば、「臨兵闘者皆陣烈在前」と九字の呪文を唱えながら、左右の足を交互に、右左右、左右左、右左右の順で九歩に踏み抜く形である。これは、三三九度の杯事にも共通する踏み数で、反閇の踏み数は、このように三の倍数となっている。

悪鬼鎮圧の反閇の力は恐ろしいほどのものがあり、花祭における榊鬼役が反閇を踏んだ新菰は焼き捨てるか、川に流し去るという。

26Pより

鬼(おに)

折口信夫は古代の和語の段階ではカミとオニは同義であったという説を提唱し、時代変化のなかで、恐怖のイメージや悪の性格のみがオニに集約されるようになったと考えた。古代の文献では、外来語の鬼に、もの・かみ・しこなどさまざまな読みが宛てられていたが、平安時代以降、次第にオニに統一されるようになる。

馬場あき子は日本の鬼の系譜を五つに分類した。第一は、祝福に訪れる祖霊や地霊など、折口が指摘したカミと一体化した鬼で、これを日本の最古の原像とする。第二は山人系ないしは修験道系の鬼で、役行者に退治されて従者になった吉野の前鬼・後鬼をはじめ、山を住処とする大人・山姥・天卒・牛頭鬼・馬頭鬼などで、仏教の因果応報の観念や地獄観が浸透するなかでポピュラーになった鬼たちである。第四は鈴鹿の鬼や戸隠の鬼女のように、みずから鬼になった放逐者・賤民・盗賊の系譜である。第五は変身譚系の鬼で、怨恨・憤怒・雪辱などの情念をエネルギーとして、復讐をとげるために鬼となることを選んだ者である。

このような愛執や憎悪に苦しむ死霊や生霊が鬼になるという伝承は広い。平安時代御霊信仰をはじめ、金輪の女、道成寺の女などの説話は、能や歌舞伎の題材にもなり、鬼に化した怨霊の範型を成した。その場合の対処方法としては、一方的に退治・排斥するのではなく、鬼の苦しみに共感しつつ慰霊に努めることが必要とされる。

鬼のイメージは常に、人間界の悲哀と闇の実相を映し出す鏡でもあった。

266P

わざおぎ

滑稽な所作によって神や人を楽しませる態、もしくは人をさす。俳優とも書く。正しくはわざをぎ。初出史料は『日本書紀」神代上であり、アメノウズメノミコトが天岩戸の前で「巧みに作俳優」したこと、俳優の内容が覆槽(うけ)を踏み轟かせて神懸ることであったことを記録する。

日本書紀』神代下にも兄の海幸彦が弟の山幸彦に降伏して誓約する説話を紹介しており、海幸彦が褌を着用して手や顔に赤土を塗り「永に汝の俳優者たらむ」といって、「足を挙げて踏行み」ながら水に溺れて苦しむ様子を演じたことを記録する。その内容は滑稽な物真似であり、宮廷に奉仕して吠声を発する隼人舞の起源であるといわれる。

柳田国男はワザが所業・行動・技術、ヲギが招くことを意味すると述べて、ワザによって神をヲグ、つまり態招きがその語源であるという。また、折口信夫はわざをぎが神や霊魂を招くことであるとして、神の意志を人間の身体で表出する態、もしくは人を想定している。

こうした所説は早く本居宣長の『古事記伝』や喜多村信節『嬉遊笑覧』などにも見られるものであり、俳優が滑稽な所作によって神や人を楽しませるのみならず、そもそも神を招く呪術に淵源することを示唆している。

引用ここまで

しこ足=おに足……力足を踏んで悪いものを踏み鎮める所作。鹿児島笠沙恵比寿の舞では、踏み鎮めにこだわっていきたいと思います。