太陽神サルタヒコノオオカミとアメノウズメノミコト

古事記(上)次田真幸 講談社学術文庫174-175P

猿田毘古神(さるたびこのかみ)

さてヒコホノニニギノ命が、天降りなさろうとするときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神がいた。そこで、天照大御神と高木神の仰せによって、アメノウズメノ神に命じて、「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせずに圧倒できる神である。だから、あなた一人で行ってその神に向かって『天つ神の御子の天降りする道に、そのように出ているのはだれか』と尋ねなさい」と仰せになった。それでアメノウズメノ神が問いただされたとき、その神が答えて申すに、「私は国つ神で、名はサルタビコノ神と申します。私がここに出ているわけは、天つ神の御子が天降っておいでになる、と聞きましたので、ご先導の役にお仕えいたそうと思って、お迎えに参っております」と申し上げた。

<注>猿は元来太陽神とされたが、太陽神は稲田の神とも考えられて「猿田毘古」と呼ばれたのであろう。

<解説>サルタビコノ神は、伊勢の海人系氏族の信仰していた太陽神であったらしい。

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赤酸漿(ほうずき~かがち)

日本書紀(上)宇治谷孟 講談社学術文庫 63P

「一人の神が天の八衢(道の分かれるところ)に居り、その鼻の長さ七握(ななつか)、背の高さ七尺あまり、まさに七尋(ひろ)というべきでしょう。また、口の端が明るく光っています。目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸漿(ほおずき)に似ています」と。

天鈿女命はそこで、自分の胸を露わにむき出して、腰ひもを臍(へそ)の下まで押しさげ、あざ笑って向かい立った。このとき衢(ちまた)の神が問われていうのに、「天鈿女命よ、あなたがこんな風にされるのは何故ですか?」と。

引用ここまで

 

サルタヒコノオオカミは、『古事記』と『日本書紀』で描写に違いがあります。『古事記』では、天地にその光が届く輝ける神々しい神として描かれています。『日本書紀』では、高身長、眼光が鋭く、長い鼻と手足という『異形の鬼』として描かれています。

アメノウズメノミコトは猿女君(さるめのきみ)を名のります。猿女君は、のちに宮中祭祀における巫女や女儒(めのわらわ)を排出する神官職となります。猿女は「戯(さ)る女」を意味するという説があります、柳田国男は、古事記の編者のひとり稗田阿礼が猿女君の末裔ではないかという説を唱えています。

 

図説日本の歴史(2)神話の時代 集英社 52P

天孫降臨の神話の中で主役として活躍するのは、アメノウズメノミコトとサルタヒコの男女一対の神である。この神は日の神を迎える神楽をしたり、天孫の降臨を先導する俳優(わざおぎ)を行なったりするが、これが神楽のはじめであると説明されている。この神の子孫である猿女君たちは、奈良朝の頃まで語部(口頭伝承者)として朝廷の祭儀に奉仕し、彼らの伝えたドローメノン(行為伝承)とレゴメノン(語り)の類が記紀の神話の資料となったのである。

引用ここまで

 

サルタヒコノオオカミ同様に、アメノウズメノミコトも太陽神だったのではないかという説があります。まばゆく輝くサルタヒコノカミに気おくれせずに近づけるのは、同じ力を持つ太陽神だということです。その説を採用して、『小さき太陽』をテーマにしたアメノウズメノミコトの舞を創作したことがあります。

「朝日の直(ただ)さす国、夕日の日照(ひで)る国」

笠沙(かささ)の御崎にもまっすぐ通じ、朝日も夕日も明るく照り映えるまことによい土地にて、地と天と海をつなぐ太陽神の舞を舞いたいと思います。