神の鎮魂~神話の中の舞踊~人間の言語発生以前からもっていた舞踊というコミュニケーション、魂の対話。

日本の舞踊 渡辺保著 岩波新書 43P

舞踊は、現代のあらゆる芸術のなかで、もっとも古い起源をもつ芸術の一つである。その歴史はほとんど人間の歴史に等しく、言語発生以前からのものであった。

もっとも舞踊は、その起源においては芸術ではなかった。「自分たちの周縁世界を映し出すもの、目に見ることも耳で聞くこともできず、肌で接することもできない超越的な存在の霊力や、宇宙を支配する力、自然がもつ不可思議な力、そして神、祖先、精霊と感応」(宮尾慈良『アジア舞踊の人類学』)するための、コミュニケーションの方法であった。こういう起源の本質は、現代の舞踊においても少しもかわっていない。

日本の舞踊の起源は「古事記」「日本書紀」に記された天岩戸神話であるというが、その神話もまた、この事実を示している。

天岩戸神話とは、次のようなものである。

アマテラスが天の岩戸に籠ってしまったために、世界はその光りを失った。アマテラスにその岩戸から出てきてもらうために、アメノウズメが、岩戸の前で、化粧をし、笹の葉をもち、しどけない姿で、伏せた桶の上で、足を踏み鳴らして乱舞をした。それを見た神々の笑い声を聞いて、アマテラスが岩戸を少しあけたところを、タヂカラオが、その強力によって戸を引き開けた。

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いわとひらき

むろんこれは歴史的な事実ではない。古代の神話である。しかし折口信夫によれば、この神話には、古代の天皇即位の礼……大嘗祭儀礼が反映しているという。真床追衾の密室を出た新天皇は、その密室の前に集まった各部族の献上する舞をうける。この舞は新天皇が密室に籠っている間からつづいていて、新天皇天皇の祖霊を身につけるためにも必要なものである。

すなわちここには、二つの意味がみとめられるだろう。一つは、神(天皇)を降臨させるための舞踊、もう一つは、降臨した神を祝福するための舞踊。この二つの意味を通して、各部族の魂が神を支え、神を神たらしめ、同時に神の魂を自分たちにもわけて貰うことになる。これが最初に見た人間の言語発生以前からもっていた舞踊というコミュニケーション、魂の対話の意味するところである。
この神話の名残が、「神楽」である。

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いわとひらき

今日の神楽は、宮中に伝わる「神楽舞」「久米舞」「大和舞」「田舞」といった宮中系統と、全国各地に伝わる系統と二つあるが、この二つの系統の存在そのものが、舞踊の起源を暗示している。

引用ここまで

 

天岩戸神話が好きで、各地の里神楽を観てまわりました。

自分なりの岩戸開きの舞を創作したりもしました。

舞ったのはアメノウズメだけではなく、他の神もそれぞれに舞ったのだという説。

各地の里神楽では、神々がみな舞います。

舞のコミュ力で岩戸がひらくという展開、特に夜神楽で「いいな」って感じます。