死ぬ時ぐらい注目されたい…っていう谷本容疑者の記事読んで思いますけど、世の中「何者かにならなければならない」とか「爪痕残さないといけない」とかが生きる上での命題と思い込んでる人が多いのかな…?人と比べると悲しくなるの決まってるんだから比べない方がいいし爪痕残さなくたっていいと思う
— 🍙高橋ユキ🍙 (@tk84yuki) January 18, 2022
津山三十人殺しを元にしたと思われる山岸凉子の『負の暗示』という漫画で、主人公を凶行に走らせた最大の動機が「(自分が)ひとかどの男だったことを思い知らせてやる」だったと思います。そんな人が増えていると思います。呪いから解放される方法はないものか…
— ぽち山 (@p_pochiyama) January 18, 2022
爪痕残したいと考える時点で、その人は残せない人になるでしょうね。結果は後からついてくるものですから。
— 魔道師 (@madoushih) January 19, 2022
谷本容疑者は板金工場で働いておられ、腕の良い職人として評価されていたそうです。2010年ごろまで勤務していた同市淀川区の工場の社長(78)は「まじめで責任感があり、仕事ぶりもずばぬけていた」と振り返ったとのこと。
スマートフォンで多数の犠牲者が出た国内外の放火殺人事件や大量殺傷事件に関する研究論文を検索し、「死ぬ時くらい注目されたい」「日本史上最悪の凶悪事件ではどんな事件がありますか?」と入力していたそうです。
孤独だからこそ注目されたいと願うし、何者にもなれていないから注目されたいと思うのかもしれません。現実的には、注目されるのはめんどくさい事態につながりやすかったりするのでほどほどでいいし、ほどほどに愛されていれば何者かになる必要はないと思います。困窮も孤独の一形態だという気がします。
「お前はいらない。必要ない」と言われたときにショックを受ける必要はないと考えております。それはあくまで相手の気持ちであり、相手の領域のことです。相手にとって自分が必要のない人間であるという事実がそこにあるだけであって、必要とされたいという期待がなければ、ただそれだけのことでしかありません。必要とされないことによるメリットも、それなりに存在します。
悪目立ち(好ましくない面において人よりも目立つこと)するくらいなら、ひっそりと目立たないように生きている方がいいような気もします。困窮しないだけのコミュニケーション能力は必要だと思いますが、注目される必要はないのではないかと思います。そこにいるだけで他者を魅了できるようなレベルでない限りは、出しゃばらない方がよいと考えております。
現実生活を充実させることに集中した方が結果につながりやすいそうです。幼児的な注目を求める言動はデメリットが多いので、地味にやっていくのがいいと考えております。