Blade Runner(End Titles)のコピーやってる人を検索していたら、素敵な作品に出会いました。
YMOの楽曲で、特に好きなのがMASS。これも素敵です。
私、高橋幸宏さんのファンなのですが、嬉しかったのがこの作品。
Blade Runner(End Titles)のコピーやってる人を検索していたら、素敵な作品に出会いました。
YMOの楽曲で、特に好きなのがMASS。これも素敵です。
私、高橋幸宏さんのファンなのですが、嬉しかったのがこの作品。
その場で即興でつくってしまう。つながっている感覚。
私は、ヴァンゲリスに憧れてきました。
1960年代後半から2020年代まで、音楽芸術など多方面で世界的に活動した音楽家である。1943年にギリシャ中部の港町ヴォロスで、画家の父と音楽家の母のもとに生まれる。4歳から独学でピアノ演奏と作曲を手掛け、6歳で自作曲の演奏会を開いた。高校在学時にプロとして音楽活動を始め、ジャズバンドでヴィブラフォン、ピアノ、オルガンなどを演奏した。高校卒業後は音楽学校などへ進学せず、美術学校で映画と美術を学んだ。音楽理論などはアリストテレスなる人物から個人教授を受けた。
メロディはシンプルで美しく]、強く印象に残るものが多い。ギリシャおよび地中海東部地域に古くから伝わる5音階旋法にもとづくメロディを用いる事があり、『炎のランナー』序奏の「C」から「G」など完全5度の飛躍を好む。
ヴァンゲリスは楽譜の読み書きができないと発言している。作曲はマルチ・キーボード形式で各種楽器を周囲に配置し、それらを即興的に演奏しながらスタジオで多重録音して楽曲を造形する。
編曲はシンセサイザーや各楽器を縦横に駆使した多彩で重厚な仕上げが多く、アナログ時代は「ヤマハ・CS-80」や各ポリフォニックシンセサイザーでオーケストラのような厚みや広がりを得ることを得意とした。
さまざまな民族楽器や打楽器類で独特の色彩や香りを盛り込むアレンジも多い。ジャズの様なインプロヴィゼーションや現代音楽などの実験的アプローチも得意で、1970年代のライヴ公演もほとんどが即興演奏であった。この作編曲方法をヴァンゲリス自身は「自然発生的音楽 (Spontaneous Music)」と称する。
9月24日大原八幡宮さまにて現代郷神楽を納めさせていただきました。今回は、炎舞もやりました。
海幸彦龍舞。大原八幡宮放生会にて納めさせていただきました。 pic.twitter.com/tOPU7rXyCO
— 安部吉孝(舞人) (@ryuda_tatsumi) September 24, 2023
炎舞。#大原八幡宮 pic.twitter.com/FL7nixPL1J
— 安部吉孝(舞人) (@ryuda_tatsumi) September 24, 2023
自宅での準備のときの写真。
観に来てくれたみなさま、大原八幡宮のみなさま、ほんとにありがとうございました。
9月24日(日)日田市の大原八幡宮さまの神楽殿にて、現代御神楽を納めさせていただけることになりました。
大原八幡宮の宮司さまに、大原八幡宮 仲秋祭(放生会)「海幸彦之舞」を納めたいとお伺いしたところ、快諾していただけました。海幸彦は古代隼人の祖です。
放生会は魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒めるとともに、五穀豊穣を祈念する儀式です。発祥は、古代九州南部に住んでいた隼人(はやと)の祟りを鎮めるためと考えられています。隼人は九州南部の大隅や日向にいた民族で、この隼人が反乱を起こし、大隅の国司である陽侯史麻呂を殺したことに端を発し、奈良朝廷が、大伴旅人を将軍として軍を率い、隼人を攻めたけれども、隼人を鎮圧することはできなかったそうです。
奈良朝廷は宇佐八幡に「隼人を鎮圧してください」と祈願し、それを受けて八幡は、豊前の国司「うぬのおひと」、八幡宮から派遣された「すぐりはずめ」、僧侶「法蓮」率いる神軍を派遣します。中津市の薦神社にある三角池の薦枕を御神体とし、大隈へ隼人の征討に赴いて勝利をおさめました。
隼人らの首は宇佐に持ち帰られ、松隈という場所に埋められたとされます。現在は凶首塚古墳として残っており、近くに百体神社を造り、隼人の霊を慰めたとされます。
それでも、その後農作物に貝虫がつき、凶作がつづいたそうです。朝敵でも神が人を殺したことはよくないと、1年に1度、ニナガイを海に放して隼人の霊を慰めるようになったそうです。
これが放生会の起こりとされています。
隼人の反乱がおき、その鎮定に八幡神が寄与したことが契機となったと伝えられ、戦いにおいて多くの「殺生」がおこなわれたので、八万神は応報として生きものを放つこと、つまり「放生」をおこなうことを神託したとされます。隼人鎮定ののちに悪気がただよい病気がはびこったので、隼人の霊を鎮めるために始まったとも伝わっています。
神楽殿に双龍の額がかかっており、双龍之舞と感応してくれたら嬉しいなとイメージしております。
他の演目は、来週の火曜日には御案内できるかと思います。
過去との決別ができず、一度終わってしまった失われた青春を、老いてから取り戻そうとするこじらせた中年の姿は滑稽です。
「自分の本当にやりたかったことって何だったのだろうか?」と、生きる意味を問いただして、「自分の人生って何だったのだろう」と考えてしまう「中年の危機」。思っていたほどの幸福感が得られなかった半生、自分自身の限界が見えてしまい、頑張っても成長できない。そんな状況の中、失われた青春を取り戻そうと舞台で脚光を浴びようとする……需要もないのに。
無理やり自分が舞台に立てる状況をつくりだし、本当の意味で推してくれる人がいない中、つまらないパフォーマンスをし、自画自賛して自己満足に浸る。そんな行為を繰り返してみたところで満たされるわけもなく、こじらせが深刻になっていきます。いい大人が幼児的なナルシシズムを満たそうとする行為を応援し続けてくれることは、ほぼありません。
途中で我にかえって軌道修正できればよいのですが、認知的不協和で「自分がやってきたことは間違いではなかった」という認知の歪みを生じているのでそうもいきません。
わかってやっているぶんにはいいのですが、自己陶酔してやっているとほんとに哀れな姿になってしまうので、自分の現実というものを受けいれて冷静になることが大切だと思います。
後々、後悔しないためにも。